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過去の添削とアドバイス例34 大学進学自己PR文

過去の添削とアドバイス例 34
大学進学自己アピールの文

 
自己PR文添削をお願します。
自己アピールの文をうまく書けません。何かアドバイスを下さい。細かくお願します。教会関係の大学です。
 私の高校生活は非常に充実している。勉強面はもちろん、部活、ピアノ、教会での奉仕と多忙な毎日ではあるが、その達成感は大きなものだ。
 部活はバレーボールで主将をつとめていた。主将となって『人をまとめる』ということの難しさを痛感した。レギュラー争いから生じる対立、個性豊かな後輩達にはよく悩まされたものだ。しかし今思えばその悩みも私の成長の時となったことを感謝している。また部活をとうしてついた根性と向上心は今も役立っている。
 2歳から習っているピアノは今も続けている。負けず嫌いな私は他の人よりうまくなりたいと必死に練習してきた。そしてコンクールにもでて数々の賞をもらった。そのときの喜びといったら言い表せれる様なものではない。一生懸命に打ち込むとということを教えてくれたピアノは私の永遠の友である
。  私の行ってる教会は『ユースネーション』という日本初の中高生による教会でエネルギーあふれる教会だ。奏楽、プログラム、会場設定、昼食など全てのことが学生で行われている。またSGといって少人数の交わりグループがあり学生同士の成長の場となっている。私はSGのリーダー、奏楽の奉仕、小学生以下の子への伝道、老人ホームでの奉仕などをしている。いろいろな奉仕をしていくうちに愛を持って接するということの大切さも学んだ。○○大学で今まで学んできたことをいかしてより多くのことを学んで行きたい。
  
少し欠点も書くほうがいいでしょう。
 1.何を言いたいのか、自分で整理するべきでしょう。
 いろいろやって来た、そのこと自体を言いたいのなら、現在のままでいいでしょう。
 しかし、そういう事実をもって、たとえば自分が積極的な人間であると言いたいとか、あるいは奉仕の精神に富んだ人間であると言いたいとか、何か特定の主張があるなら、そのことを明記すべきでしょう。
 2.自己PRですから、長所を並べるのが当然ですが、あまり長所ばかり並べたてると、読むほうは嫌になります。
 ましてあなたは、発展途上の高校生でしょうし、志望先が人間形成を重んじるキリスト教系の大学なら、もっと謙虚さがあってしかるべきです。
 自分の至らない点を自覚しているということも、立派な長所ですから、何か少し欠点も軽く書いておくほうがいいですね。そのほうが、話に真実味もでます。今の話が嘘だとは言いませんが。
   
再度添削をお願します。
前のアドバイスからもう一度かんがえてみました。おかしな表現などもご指摘ください。
 私の高校生活は非常に充実している。勉強面はもちろん、部活、ピアノ、教会での奉仕と多忙な毎日ではあるが、その達成感は大きなものだ。
 部活はバレーボールで主将をつとめていた。主将となって『人をまとめる』ということの難しさを痛感した。レギュラー争いから生じる対立、個性豊かな後輩達にはよく悩まされたものだ。しかし今思えばその悩みも私の成長の時となったことを感謝している。また部活を通してついた根性と向上心は今も役立っている。今現在、私が積極的に色々な活動に参加するようになったのも部活のおかげである。
 2歳から習っているピアノは今も続けている。負けず嫌いな私は他の人よりうまくなりたいと必死に練習してきた。そしてコンクールにもでて数々の賞をもらった。そのときの喜びといったら言い表せれる様なものではない。一生懸命に打ち込むとということを教えてくれたピアノは私の永遠の友である。
 私の行っている教会は『○○』という日本初の中高生による教会でエネルギーあふれる教会だ。奏楽、プログラム、会場設定、昼食など全てのことが学生で行われている。またSGといって少人数の交わりグループがあり学生同士の成長の場となっている。私はSGのリーダー、奏楽の奉仕、小学生以下の子への伝道、老人ホームでの奉仕などをしている。いろいろな奉仕をしていくうちに愛を持って接するということの大切さも学んだ。しかし私にも弱さがある。まだ苦手な人との関係はいいものとは言えない。このことを今後の課題とし、○○大学で今まで学んできたことをいかしてより多くのことを学んで行きたい。
    
論理的におかしな部分があります。
 付け加えられた欠点の部分ですが、
>しかし私にも弱さがある。まだ苦手な人との関係はいいもの
>とは言えない。
 「私にも弱さがある」というのは、偉そうな言い方になりますね。こんなに長所だらけの自分にも、まあ少しは欠点がある、というふうに読める訳です。書くなら「しかし、私には弱さもある」です。
 「苦手な人との関係はいいものとは言えない。」というのは、論理的に変ですね。苦手ということは、ほぼイコール、関係が良くないということでしょう。つまり、この一文は、何も言っていないということです。苦手な人とは素直に話ができないとか、苦手な人との接触を避けようとすることが多いとか、具体的に書きましょう。
 論理的にということで言うと、 
>一生懸命に打ち込むとということを教えてくれたピアノは私の
>永遠の友である。
 という一文もおかしいですね。
 前のほうを読んでも、なぜピアノが一生懸命打ち込むことを教えてくれたと言えるのか、意味不明です。前のほうに書いてあるのは、要するに一生懸命ピアノをやってきて、成果も得たということでしょう。なぜ、それをもって、ピアノが「一生懸命打ち込むことを教えてくれた」と言えるのでしょう?
 あまり追及するのも何ですから、ひとつの解決法を言うと、「一生懸命に打ち込むことの価値を教えてくれた」などという表現のほうがいいでしょう。
 他にも表現のおかしな部分はありますが、次の一点のみを指摘しておきます。
>しかし今思えばその悩みも私の成長の時となった~~
 「時」ではなく、普通は「糧」(かて)でしょう。

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