大学法学部志願理由書 質問者/瑞葵

◎質問者(文章執筆者)の性別/男
◎質問者(文章執筆者)の年齢・学年/高校3年 17歳
◎文章の用途(「入試用の志望動機」など)/大学入試の志願理由書
◎文章の提出先(受験する大学、会社など)/中央大学法学部
◎チェックしてほしい文章/

私は将来法律の専門家になりたいと思うため、法学部を志願する。
私には裁判所に勤務する親戚がいたので、幼少のころより司法に対する関心は高かった。中学校のとき、職場体験学習で地元の裁判所に行くことがあった。そこで特に私の関心を引いたのは当時数年後から始まると言う裁判員制度だった。今まで、行政や立法のことは普段から新聞やテレビなどでもよく取り上げられていて比較的関心は高かったが、裁判は大事件のときだけしかテレビや新聞が取り上げず、また、裁判の専門性が高すぎるため、日常からかけ離れていた。そのようなことで、他の行政や政治に比べあまり関心を示すことのなかった司法を市民参加と言った形で身近に感じてもらおうと言うのがこの裁判員制度である。行政や立法には選挙や直接請求など関わる機会はたくさんある。しかし、今まで国民が司法に関わることはほとんどなかったと言っても過言ではないのではないと私は思う。そこでこの制度は今まで関心のなかった司法に積極的に参加できることにおいて大変画期的なシステムではないかと思う。
だが、果たして本当に良い面ばかりなのだろうか。確かに国民が裁判に参加することによってこれまで遠い存在であった裁判が身近な存在となることはいいと思う。しかし、法律の知識の何もない一般の国民に被告人の人生に関わる大切な裁判に参加することが言いと言いきれるのだろうか。裁判員は言ってしまえば司法の素人である。感情に流されたりすることはないのだろうか。また、テレビのワイドショーなどで知りえた情報は裁判での理由意ならないとなっているが、それらの情報と切り離して裁判を行えるのだろうか。それに、裁判員には裁判上で得た情報は口外してはならないと言う守秘義務があるが確実に誰にも話さないでおけるだろうか。人間は禁止されると普段何も思っていなくてもやってしまいたくなる動物である。つい口が滑ってと言ったことになってしまった場合大変なことになってしまうのではないだろうか。このような問題点があるならばいっそのこと今までのように裁判員制度はなくても良かったのではないだろうかと私は思う。または、メディアで取り扱う回数を増やすことで国民の歓心を得るなど別の方法もあったかもしれない。インターネットでこのことについて調べてみると前述したようなことについていろいろなところで取り上げられていた。しかし、最終的にはどちらが正しいのかはわからなかった。私は今後もこの件を考え続けたいと思う。今の日本には憲法を初めとして法律が数多くあり、法に関する新しい波が社会に押し寄せている。その一つひとつを性格にわかりやすく理解し説明できるようになることが今の法律家に求められることであるかと思う。そして私は、そのような国民の目線に立った法律家になりたいと思っている。そのために、様々な角度から法を学び研究したいと思う。
貴校では裁判員制度の運用等に関する有識者懇談会委員で座長をされている椎橋隆幸教授が教鞭を取られておりぜひご指導をお願いしたく思うほか、古くから法曹教育で実績があり、火の塔の法職多摩研究室や法律事務所でのインターンシップ制度など法科大学院進学、法律家への就職を見据えたカリキュラム、設備が整っているこの中央大学法学部こそが私が法学を学ぶための最良の場だと思い志願する。

◎チェックしてほしい事柄・ほしいアドバイス/きちんとまとまっているか
◎質問したい事柄/言いたいことがズレていなくて最終的に言いたいことが伝わっているか。

“大学法学部志願理由書 質問者/瑞葵” への4件の返信

  1. 管理人回答:まとまっているとは言えません。

    >きちんとまとまっているか
    ⇒延々と、裁判員制度の是非についてお書きですが、結局、「最終的にはどちらが正しいのかは」わからず、「今後もこの件を考え続けたいと思う。」というだけで終わっています。それが、法学部志願の理由ですか?
    文字分量の配分から言って、それが法学部志願の中心的理由としか思えませんが、そうなのですか?もしそうなら、それでもいいのですが、裁判員制度について考え続けるために法律家になりたいという理屈は、少々おかしな、あまり説得力のない話としか思えませんが。

    また、「法に関する新しい波が社会に押し寄せている」ということですが、その「法に関する新しい波」とは何ですか?意味がよく理解できないのですが。裁判員制度導入の件以外に何かあるなら、それを書かないと意味が通じません。

    さらに、「私は、そのような国民の目線に立った法律家になりたいと思っている」なら、裁判の場に素人である国民を参加させるのは、あなたの思いと同じではないのですか?矛盾しているように感じますが?「法律の知識の何もない一般の国民に被告人の人生に関わる大切な裁判に参加することが」良くないと思うなら、別に国民目線にたって法律運用をする必要などないでしょう。

    要するに、その大学に裁判員制度の運用等に関する有識者懇談会委員がいるということに引っかけて、無理に志願理由を作っているだけなのです。少なくとも、そう解釈される恐れは十分です。

  2. 管理人回答:追加で余計なことですが。

    余計なことですが、文章によるコミュニケーションに関してちょっとヒントにもなるので。

    >言いたいことがズレていなくて最終的に言いたいことが伝わっているか。
    ⇒もし、「言いたいことがズレて」いて、「最終的に言いたいことが伝わって」いないとしたら、そういう文章を読んで、そこから「言いたいことがズレていなくて最終的に言いたいことが伝わっているか」を判断することなど、できませんね。

    そういう質問をしたいのであれば、少なくとも、別の言い方、別の表現で、自分はこういうことを言いたいのだが、という注釈をつけないと質問が成立しません。

  3. 添削ありがとうございました。
    若干直してみましたので添削お願いします。

    ◎質問者(文章執筆者)の性別/男
    ◎質問者(文章執筆者)の年齢・学年/高校3年 17歳
    ◎文章の用途(「入試用の志望動機」など)/大学入試の志願理由書
    ◎文章の提出先(受験する大学、会社など)/中央大学法学部
    ◎チェックしてほしい文章/
    「志望理由を述べてください。その際、近年の社会的問題の中で、あなたが関心をもった問題を1つ取り上げ、大学で学ぼうとする学問と関連させて1400~1600字で論じてください。」
     私は将来法律家になりたいと思うため、法学部を志願する。
     私には裁判所に勤務する親戚がいたので、幼少のころより司法に対する関心は高かった。中学校のとき、職場体験学習で地元の裁判所に行くことがあった。そこで特に私の関心を引いたのは当時数年後から始まると言う裁判員制度だった。今まで、行政や立法のことは普段から新聞やテレビなどでもよく取り上げられていて比較的関心は高かったが、裁判は大事件のときだけしかテレビや新聞が取り上げず、また、まったくイメージできないものや、日常の意味と異なる専門的な言葉が多く用いられる裁判は専門性が高すぎるため、日常からかけ離れていた。そのようなことで、他の行政や政治に比べあまり関心を示すことのなかった司法を市民参加と言った形で身近に感じてもらおうと言うのがこの裁判員制度である。行政や立法には選挙や直接請求など関わる機会はたくさんある。しかし、今まで市民が司法に関わることはほとんどなかったと言っても過言ではないのではないと思う。そこでこの制度は今まで関心のなかった司法に積極的に参加できることにおいて大変画期的なシステムであると言える。
     だが、果たして本当に良い面ばかりなのだろうか。確かに、市民が裁判に参加することによってこれまで遠い存在であった裁判に市民感覚が導入され身近な存在となる。また、市民から見たときに、刑が甘すぎたり厳しすぎる場合があり、そのギャップ解消にも効果がある。しかし、法律の知識の何もない一般の国民に被告人の人生に関わる大切な裁判に参加することが言いと言いきれるのだろうか。裁判員は言ってしまえば司法の素人である。まったく法律知識がない人も対象になるため、どのような裁判員が選出されるかで判決が変わってしまうこともある。また、テレビや雑誌などで知りえた情報や感情は裁判での理由とならないとなっているが、それらと切り離して裁判を行えるのだろうか。有罪でも無罪だと思いこんだり、逆に無罪なのに冤罪の判決をしてしまう可能性もあるだろう。それに、裁判員には裁判上で得た情報は口外してはならないと言う守秘義務があるが確実に誰にも話さないでおけるだろうか。人間は禁止されると普段何も思っていなくてもやってしまいたくなる動物である。つい口が滑ってと言ったことになってしまった場合大変なことになってしまうのではないだろうか。このような問題点があるならばいっそのこと今までのように裁判員制度はなくても良かったのではないだろうかと思う。または、メディアで取り扱う回数を増やすことで国民の関心を得るなど別の方法もあっただろう。インターネットでこのことについて調べてみると前述したようなことについていろいろなところで取り上げられていた。しかし、最終的にはどちらが正しいのかはわからなかった。私は今後もこの件を考え続けたいと思う。今の日本には憲法を初めとして法律が数多くあり、前述した裁判員制度の他にも法科大学院や日本司法支援センターの設置など司法に関する新しい波が社会に押し寄せている。その一つひとつを性格にわかりやすく理解し説明できるようになることが今の法律家に求められることであるかと思う。その中で私は、司法と市民感覚の間で橋渡しが出来るような法律家になりたいと思う。そのために、様々な角度から法を学び研究したいと思う。
     貴校では裁判員制度の運用等に関する有識者懇談会委員で座長をされている椎橋隆幸教授が教鞭を取られておりぜひご指導をお願いしたく思うほか、古くから法曹教育で実績があり、火の塔の法職多摩研究室や法律事務所でのインターンシップ制度など法科大学院進学、法律家への就職を見据えたカリキュラム、設備が整っているこの中央大学法学部こそが私が法学を学ぶための最良の場であると思い志願する。

    ◎チェックしてほしい事柄・ほしいアドバイス/この中で最大の問題点はどこですか?
    ◎質問したい事柄/‘論じてください’ということに意識しすぎてしまっている気がするのですがどうでしょうか

  4. 管理人回答:ほとんど何も変わっていません。

    >この中で最大の問題点はどこですか?
    ⇒前回、指摘したことに関して、ほとんど何も変わっていません。延々と、裁判員制度のことを述べて、結局、それも法律家を志望する理由のひとつであると述べているだけです。
    要するに、あなたはなぜ法律家(そもそもこの法律家というのが裁判官を指すのか、検察官を指すのか、弁護士を指すのか、それさえ不明ですが)になりたいのか、その本質的な理由を持っていないのです。もちろん、高校生ですから、無理ないのかもしれません。しかし、こういった志望理由書というのは、タテマエの世界です。「将来のことはまだ判りません」などというホンネを出しているようでは、まともな評価はもらえないのです。

    >‘論じてください’ということに意識しすぎてしまっている気がするのですがどうでしょうか
    ⇒その質問の真意がよく理解できませんが、要するに、裁判員制度の話ばかりに文字数を費やし過ぎているということです。
    「論じてください」というのは、「志望理由を」、「近年の社会的問題の中で、あなたが関心をもった問題」「1つ」を素材として、「大学で学ぼうとする学問と関連させて」論じてくださいという意味です。
    論じるべき主題は、志望理由です。あなたは大学で法律を勉強したいのでしょう。なぜ、それを志望するのかを、「近年の社会的問題の中で、あなたが関心をもった問題」と関連させて述べろということです。あなたは、この解釈ができていません。

    まあ、この設問文の表現自体が、他学部・他学科の志願者もゴッチャにしていて、少々、おかしいのですが。他の大学でも似たような、解釈に苦しむような、あるいは、どう考えても解釈不能な設問を出す馬鹿なケースは散見されますが。

    ついでに余計なことですが、文章のおかしさも1点だけ(他はよいという意味ではありません)。
    「そこで特に私の関心を引いたのは当時数年後から始まると言う裁判員制度だった。今まで、行政や立法のことは普段から新聞やテレビなどでもよく取り上げられていて比較的関心は高かったが、裁判は大事件のときだけしかテレビや新聞が取り上げず、また、まったくイメージできないものや、日常の意味と異なる専門的な言葉が多く用いられる裁判は専門性が高すぎるため、日常からかけ離れていた。そのようなことで、他の行政や政治に比べあまり関心を示すことのなかった司法を市民参加と言った形で身近に感じてもらおうと言うのがこの裁判員制度である。」

    ⇒前半はあなた自身のことでしょう。しかし、後半は市民一般の話のはずです。何の断りもなく、話がすり替わっています。理由もなく、自分と市民一般をゴッチャにしてはいけません。

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