大学教育学部志望理由書 質問者/お梅

志望理由書の添削お願いします。私は教育学部に3年次編入しようと思っているものです。
全体に一貫性があるか。見ていただきたいです。

私は短大で二年間幼児教育の学びを進める中でその後児童期の子どもたちの発達にも関心を持つようになり編入学を志望した。その中でも特に子どものことばに興味をもった。子どもたちのことばの世界は大人とは違うこども独自のことばの世界があると感じたからだ。実際、自分が幼稚園実習に行き現場の子どもたちと生活してみると更に感じた。例えば子どもたちがことばで言う前にすぐに手が出てしまい、喧嘩になる場面に何度も出会った。子どもたちにとってはその行為自体がことばの代わりであってその行為の裏に隠れている気持ちが大事なのだ、ということに気づいた。自分の思いがうまくことばにならないことから先に手や足が出てしまっていた。ことばが発達段階の子どもたちにとって子とばにできないもどかしさというものがある、と感じた。それを保育者が整理してことばにしてあげると子どもたちの中でも腑に落ち、自分の思いが言語化されることで自分でも改めて気づいたような表情をしていた。幼稚園では最年長である5歳児であっても、自分の思いをことばにするのが難しい面がある。そのような幼児期を過ごした子どもたちが学童期に入り新しく読む書くという力を身につけながらどのように発達していくのかを学びたいと思うようになった。

このように、ことばは子どもの発達に大きな影響を及ぼすと思われる。編入学後は子どもの発達とことばとの関わりから学んで生きたい。「こころが溢れてことばになる」と授業で先生がおっしゃっていた。そのことばがとても印象的でことばは心と深く結びついていると感じた。ことばは最初聞くことから話す、読む、書くへと発達していく。そのような思いが伝わらないもどかしさだけではなく共感する喜びや、リズミカルなことばを楽しんだり物語の世界に浸ったり、ことばは人に伝える手段や意味だけではない感じたり考えたりするものでもあると思う。
貴学を志望したのは教育目標である「幅広い教養と深い専門性豊かな人間性と高度な倫理性」と掲げられているように、まずは自分自身を磨く場所であることがとても魅力的に感じたからだ。
将来は、これからの学びを生かしてこどもと関わる仕事に尽きたいと考えている。

“大学教育学部志望理由書 質問者/お梅” への3件の返信

  1. 管理人回答:一貫性がない、とは言えませんが…。

    全体として、論旨に破綻があるというようなことはありません。

    ですから、これ以降は、管理人の余計なお世話です。
    かなりキツイことを書きますので、気が進まないなら読まないほうがよいでしょう。

    一貫性も何も、要するに、ここで書いてあることは、「これまで幼児教育を学んできて、言葉と発達の問題に興味を深め、児童教育でそれをさらに学びたいと思い、××大学教育学部▽▽学科に編入を志望する」というだけの話ですね?
    よく読めば、書いてあることは当たり前の話ばかりで、それをわざわざ「幼児教育の学びを進める中で」のような難解な言い回しや、微妙にズレた表現でこねくり回しているだけですね。たとえば「実際、自分が幼稚園実習に行き現場の子どもたちと生活してみると更に感じた。」ですが、この文章の中で、「現場」でない「子どもたち」など、あり得ませんね?ならば、なぜわざわざ「現場の」などという言葉をつける必要があるのでしょうか?現場というのは、あなたにとっての現場であって、子どもには関係ないでしょう。
    「更に」も変です。更に、ではなく、その「現場」で初めて感じたのではないですか?
    そうではない、とおっしゃるのなら、「子どもたちのことばの世界は大人とは違うこども独自のことばの世界があると感じたからだ。」は、どこで感じたのですか?教科書に書いてあることを「感じた」のですか?

    非常に観念的な記述もあり、それは、教科書に書いてあることを自分の体験として置き換えただけではないか?という疑問を持たせる結果になっています。
    「このように、ことばは子どもの発達に大きな影響を及ぼすと思われる。」も、「このように」とは、どのようになのか、不明です。これ以前の文章で、「ことばは子どもの発達に大きな影響を及ぼす」ことを指摘した部分などありません。指摘されているのは、幼児期の子どもは、まだ言葉を駆使できず、自分の思いを言葉にするのが上手ではない、ということだけです。
    「そのような幼児期を過ごした子どもたちが学童期に入り新しく読む書くという力を身につけながらどのように発達していくのかを学びたいと思うようになった。」というのは、あくまでそういうことを学びたいというだけで、「このように」の対象ではあり得ません。
    格好を付けて難しいことを書こうとするから、自分でも、きちんと論旨を追えなくなってしまっているのです。

  2. 管理人回答:余計な表現、無駄な表現をカットすることから。

    管理人が指摘するように、もしもご自分でも、格好をつけて難しいことを書こうとしていたと自覚なさるのなら、まず余計な表現、無駄な表現をカットすることから、はじめればどうですか?
    そうすることで、文章構造や論旨が明確になり、おかしな部分も見つかるでしょう。
    それで文字数が足りなくなるなら、表現で増やそうとせず、それぞれの論旨をさらに補う具体的な説明をしてください。

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