初めまして。以下は指定校推薦の志望理由書なのですが、
ひととおり書き終わっても不安が拭えず、アドバイスをお聞きしたいです。
宜しくお願いいたします。
※内容も字数も指示はありません。B4の用紙を縦にして横書きなので、だいたい800~1000文字を目安にしています。
※志望する大学は映像製作がメイン、複数の学科の生徒で集まって作業することを授業の特色としているようです。
※最初に高校に提出して学内選抜されます、その選抜の材料になります。選抜されたあとは大学のほうにも同じ文書が送られると思います。
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私は現在メディアに関する様々な勉強をし、映像技術や機材、多様な作品やソフト、そして何より異なる考え方をもつ仲間と共同で一つの作品を作るということに関心がある。そのために、●●大学の●●学科へぜひとも入学してそれを実現したい。
私は物心がつく前から、一体何の導きであったのか、絵を描く事が大好きであった。それには幼稚園、小・中学校、現在の高校に至るまでずっと魅了されつづけている。おそらく絵を描かなかった日はないほどにだ。高校生になってからパソコンを通して自分の作品を世間に発信していくようになり、他人に作品を評価してもらうこと、他人の作品に触れること、絵を通して他人と交流する感動を知った。
コンピューターを通して様々な作品に触れ、まだまだ自分の発想にない作品形態がたくさんあることを知った。絵と音楽、映像と写真、その融合…一つの絵からたくさんの可能性が生まれてくる。私が今まで極めてきた形態はただ一つだけであったのだと分かると、どんどんもっと多様なノウハウを勉強したくなった。こんな映像も、こんな音楽も作ってみたい。そして自分の作品の可能性を高めていきたいと思うようになった。
そして私が第一に求めているのは他人との交流、共同作業による作品製作である。今までに私は一人で一つの作品を作っていた。それではその作品の可能性はいつまでも一つのままである。二人で作ればその可能性は倍になる。確かに他人との作業は意思の疎通も作業進行も倍の苦難が伴う。しかし私はその完成までの苦難、完成したときの仲間との最大の喜びを味わいたいと思うのだ。
私は●●大学の生徒が作成した『●●』という映画フィルムを見て、しみじみと感動を味わった。私が学びたくて、求めているのは、まさにこの仲間同士で作品を完成させた時の最後の笑顔なのだと。●●大学に入学したら、技術を学び、共同作業の厳しさと感動を自分の経験にしていきたい。そしてこれからのメディアの可能性を学んで行きたいと考えている。
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※文章の展開、表現に間違いはないでしょうか。
※志望理由書に書く内容として大丈夫でしょうか。
※文末は「だ、である」で宜しいのでしょうか。「です、ます」の方が相応しいという話も聞きましたので…
どうか宜しくお願いいたします。
管理人回答:そんなに学校にオモネル必要があるのですか。
きついことを書きます。
オモネル(阿る)という意味はわかりますか?
相手の気にいるように、へつらう、ということです。
あなたの志望理由を読むと、それがぷんぷんと臭ってきます。
冒頭の一文自体、要するに学校の教育内容をそのまま、なぞっているだけです。
また、全体を通して言えるのは、複数の学科の生徒が集まって作業することを授業の特色としている学校だから、自分はそういうことが大好きだと書いているという様子が、ありありわかるということです。
もし、ほんとうに、そういうことが好きなのだというのなら、お詫びしますが、どうですか?
そもそも、自分の表現の欲求、芸術的欲求によって、創作活動をしたいという人間が、他人との共同作業を好むということ自体、おかしな話です。あなたは、自分が好きな絵を描くのに、他人からああ描け、こう描けと言われて、嬉しいのですか?自分が描きたくて描き始めた絵の一部分を、他人に描いてもらって嬉しいですか?そんなふうにしてできた絵を誇りに思えるのですか?
もし、そうだというなら、少なくとも管理人は、あなたは偽者のアーチスト、アーチストの振りをしたいだけの人間だと思います。
あなたの頭には、映画製作のことがあるようです。なるほど、映画づくりには、大勢の人間が関わります。しかし、それを主導するのは監督だだひとりでしょう。俳優も、スタッフも監督の意思を体現するために、その意を受けて動くだけです。
もちろん、そうではない映画もあるでしょうが、そういう映画は所詮、二流三流の商業映画でしょう。
結果としての共同作業の喜びは否定しませんが、それはあくまで結果でしょう。
最初から、そのことを目標におく、それを「第一に求めている」芸術家やクリエイターなど、取るに足りない才能の持ち主でしかないと思います。
※文章の展開、表現に間違いはないでしょうか。
あります。たとえば、
> 私は物心がつく前から、一体何の導きであったのか、絵を描く事が大好きであった。
物心つく前のことが、なぜわかるのですか?なぜ「~であった」と言えるのですか?
親などからそう聞かされたのなら、そう書くべきでしょう。「一体何の導きであったのか」という表現も、なにやら宗教めいて、不適切ですね。無理に格好をつけようとするのは、おやめなさい。
また、どなたにも言うことですが、やはり具体性が足りません。だから、話が作りごとにしか聞こえないのです。たとえば、
> 高校生になってからパソコンを通して自分の作品を世間に発信していくようになり
どんな作品ですか?
> 私が今まで極めてきた形態はただ一つだけであったのだと
どんな形態ですか?単に、思わせぶりで書いているだけですか?
> こんな映像も、こんな音楽も作ってみたい。
どんな映像ですか?どんな音楽ですか?
※志望理由書に書く内容として大丈夫でしょうか。
明確に間違いだとか、おかしいとかは言えません。しかし、上記で指摘するように、最初は自分の表現の欲求をアピールしておいて、途中から共同作業の喜びを語っていては、説得力は出ません。映画作りがしたいのなら、それを徹底的に書きなさい。
※文末は「だ、である」で宜しいのでしょうか。~~
どうでも良い話です。そんなくだらないことに気を使っているくらいなら、もっと内容をしっかりと考えるべきでしょう。