◎質問者(文章執筆者)の性別/女性
◎質問者(文章執筆者)の年齢・学年/17歳・高校3年生
◎文章の用途(「入試用の志望動機」など)/自己推薦書
◎文章の提出先(受験する大学、会社など)/国公立大学教育学部養護教育専攻
◎チェックしてほしい文章/文頭の相手への問いかけのような書き方はおかしいか。何が言いたいか伝わならいか。
◎チェックしてほしい事柄・ほしいアドバイス/・文の構成(志望動機→自己の強みや生かせるところ→将来への展望)の展開がおかしくないかどうか。
・おかしい場合、どうするともっとわかりやすく
・自己推薦書として、意欲が伝わるか、不十分か
・不十分な場合、もっと何が必要か
「人が幸せに生きる」とは本質的にどの様な事で、どうしたら実現出来るのでしょうか。私は学校生活を通して、その事を考える機会が多くありました。不登校になってしまったクラスメイトや、抱えていた悩みを相談してくれた友人との出会い、そして自分自身の心身相関を強く意識した出来事などがその疑問を抱かせました。そして、生涯を通して考えたいテーマにもなりました。幸せとは人それぞれ形が異なり、一言で表すのは難しいと思います。しかし、そのテーマを考えるうちに「心身が健康であること」は人が幸せに生きる基盤の1つになると考えるようになり、心身が健康であることの尊さと難しさに気づきました。そして同時に、その尊さを守る事で人それぞれが描く「幸せな人生」に近づく手助けをして地域社会に貢献したいと思いました。その思いが、子どもたちの身近な存在として、技術者と教育者の両面から心身の健康を育む役割を担う養護教諭になりたいと考えたきっかけとなりました。
私は周りを見つめながら人と人を繋ぎ、豊かな対人関係を築く事が得意です。中学校、高校と吹奏楽部に所属していた私は、多様な人間がいる事で意見の対立が生じると学び、対人関係の難しさを感じる事もありました。しかし、より良い演奏をするために部活の雰囲気を大切にしたいと考えた私は、仲間の意見や気持ちを尊重しながら問題解決に努めました。この経験は、養護教諭を志す上でも必ず生かせると思います。養護教諭は子どもの健康を守る上で非常に多くの人との連携が大切になります。常に人との繋がりを大切にし、高いコミュニケーション力を持った養護教諭になるために必要な意識が、私の中にはあります。
子どもたちの心身の健康問題が複雑多様化している今、養護教諭は今後より一層重要な役割として子どもたちが幸せな人生を築くための支援が出来ると思います。私はその様な役割として貢献するという目標を抱き、確かな専門性と広い視野を持った質の高い養護教諭になりたいと思いました。貴校では4年間のカリキュラムの中で幅広い健康に関する知識や一般教養を学べるほか、多くの実習とボランティア活動を通し確かな基礎学力・実践力を培うことが出来きます。私の目指す養護教諭になるために必要な学びの場が貴校にあると感じ、貴校で学びたいと考えました。
入学後は、在学中に学ぶ全てが将来に直結するという事を意識しながら、意欲的に全ての科目を学びます。特に、応急手当や子どもの身体について知る上で必要な基礎となる生理学・解剖学と、近年社会問題としても注目されているいじめ問題へ柔軟に対応し、子どもの気持ちを誰よりも親身に考えることの出来る養護教諭になる上で重要となる、精神保健の勉強には力を注ぎたいと考えています。
以上の様な養護教諭に対する夢や目標意識、生かせると思う私の長所などから貴学への入学を強く希望します。
1200字以内で、1183字にまとめました。
よろしくお願いします。
管理人回答:不十分です。構成もイビツです。
>文頭の相手への問いかけのような書き方はおかしいか。何が言いたいか伝わならいか。
⇒問いかけで始めること自体、おかしくはありません。しかし、クドクドと余計なことを書いているために、何が言いたいのかが、すんなりと理解できません。たとえば冒頭の一文など、「人の幸せとは何でしょうか」で済むことです。その後に続く説明も、ダラダラと不必要に長いばかりです。人の幸せとは何かという問題が一言で言えないこと、しかし、その基盤になるのが心身の健康であることなど、誰でも判っていることで、クドクド説明するまでもありません。
そういう余計なことを長々書いた結果、自己推薦文なのに自己推薦に関する記述が少なくなっています。
>文の構成(志望動機→自己の強みや生かせるところ→将来への展望)の展開がおかしくないかどうか。
⇒上記の通りです。自己推薦文ですから、中心は自己推薦に関する記述になるべきです。バランスが悪いです。
>おかしい場合、どうするともっとわかりやすく
⇒上記を読めば判るでしょう。余計なことをカットして、自己推薦の理由、自己推薦できるという論旨をもっと詳しく書くべきです。
現状では、単に部活を通してコミュニケーション能力を鍛えてきたということだけしかありません。そもそも、養護教諭というのは児童生徒を対象とする仕事でしょうから、その意味での自己推薦的な話が何もないのは、あまりに不備です。
日本語のおかしさも、論旨のおかしさも目立ちます。たとえば、論旨ですが、
>そして同時に、その尊さを守る事で人それぞれが描く「幸せな人生」に近づく手助けをして地域社会に貢献したいと思いました。
⇒地域社会が出てくる必然性はまったくありません。論旨を紛らわしくするだけです。
意味不明な記述も散見されます。
>常に人との繋がりを大切にし、高いコミュニケーション力を持った養護教諭になるために必要な意識が、私の中にはあります。
⇒ご自分の中にあるという「必要な意識」とは、具体的にどんな意識ですか?
>子どもたちの心身の健康問題が複雑多様化している今、養護教諭は今後より一層重要な役割として子どもたちが幸せな人生を築くための支援が出来ると思います。
⇒「今後より一層重要な役割として」が余計で、意味を取りづらくしています。取れば、すっきりと意味が理解できることが判るでしょう。
添削、そしてご指摘ありがとうございます。
確かに・・・と納得です。多くのことに気づかされました。
特に、志望動機なども含めて書くという事を意識しすぎ、自己推薦文なのに自己推薦に関する記述が少なくなっていたのは致命的でした。
ご指摘がなければ、気づけませんでした・・・。
ありがとうございます。
これから多くの反省を踏まえ、また書き直していきたいのですが・・・
アドバイスお願いします。
>その後に続く説明も、ダラダラと不必要に長いばかりです。
自己推薦に関する部分をもっと書けるように、文の初めの志望動機をもっと短くしていきたいのですが・・・・。
>不登校になってしまったクラスメイトや~
からのくだりは不要でしょうか?
ただ学校生活を通して、だけでは説明が不十分かな?と思い書いたのですが・・・。
お忙しい中、申し訳ありません・・・。
よろしくお願いします。
管理人回答:もちろん不要ではありません。
>>不登校になってしまったクラスメイトや~
>からのくだりは不要でしょうか?
要ります。要するに、ダラダラ、クドクド書き過ぎなのです。改善の一例を示します。
それから「自分自身の心身相関」というのは何ですか?きちんと説明できないのなら、書く必要はありません。文意を判りにくくするだけです。
不登校になっ
てしまったクラスメイトや、抱えていた悩みを相談してくれた友人との出会い、そして自分自身の心身相関を強く意識した出来事などがその疑問を抱かせました。そして、生涯を通して考えたいテーマにもなりました。幸せとは人それぞれで形が異なり、一言で表すのは困難です難しいと思います。しかし、そのテーマを考えるうちに「心身のが健康であることは人のが幸せのに生きる重要な基盤の1つだとになると考えるようになり、心身が健康であることの尊さと難しさに気づきました。そして同時に、それその尊さを守る事で人それぞれが描く「幸せな人生」に近づくの手助けをして地域社会に貢献したいと思いました。その思いが、子どもたちの身近な存在として、彼らの技術者と教育者の両面から心身の健康を育む役割を担う養護教諭になりたいと願うように考えたきっかけとなりました。「その」を「この」に変えるなど、もう少し改善は必要ですが。