◎質問者(文章執筆者)の性別/女
◎質問者(文章執筆者)の年齢・学年/20歳
◎文章の用途(「入試用の志望動機」など)/推薦入試用の志望動機
◎文章の提出先(受験する大学、会社など)/看護専門学校
◎チェックしてほしい事柄・ほしいアドバイス/・文のつながりや話の流れにおかしい点があるか・全体として出来は良いか・簡潔にできる部分はないか・この内容で自薦の文として活かせる部分はあるか
添削お願いします。
私は現在、特別養護老人ホームに介護士として勤務しています。高校卒業後、半年の介護士養成学校を卒業し資格を得てから、教科書での知識と現場との差を身をもって経験しながら、利用者様一人ひとりの生活と関わらせて頂き自分の成長のために日々精進しています。
その日々の中で、私の胸には二つの出来事が強く印象に残っています。一つは、ある利用者様の娘さんであり、普段は看護師さんとして働いておられる方との出会いでした。生活のお手伝いをさせて頂いていた中で訪れたその利用者様の「最期」に立ち会ったとき、傍で声をかけておられた娘さんは、身内であるというだけでなく一看護師として「死」に対する覚悟というものをもってその場で語り掛け接しられていたように感じました。
実際、私が感じた「覚悟というもの」がなんなのかは、私にはまだ実感できないものでしたが、実の母親が肩で呼吸をし手を握る力が弱まってゆく目の前の現実に冷静に対応しながらも、やわらかい表情と落ち着いたトーンで話しかけておられるその姿に、私は自身ではまだ見ぬ現実を目の当たりにしたことに対する戸惑いと、娘さんのような方に対する強い憧れを感じました。
もう一つは、夜勤中ある別の利用者様がのどに痰がからみ、それを自身で吐き出せずに苦しんでおられる状況にあったとき、私達介護士は口からの吸引を施しますが、のどの奥にある痰を取り、より呼吸を楽にしてあげられるのは医療行為となる鼻からの吸引ができる看護師さんであるのだ、と苦しむ利用者様を目の前にして、対応を制限されることにもどかしさを感じたという出来事です。自分に医療の専門知識とそれに伴う医療行為としての技術があれば、、と思うことしかできませんでした。
これらの出来事は、誰の周りにも必然的に訪れる病や死に対してどう向き合っていけるのか、を考えさせられると同時に、看護師になりたいと強く志望するきっかけを与えてくれた大きな経験です。
管理人回答:現状のままでは無理でしょう。
>文のつながりや話の流れにおかしい点があるか
⇒とくにありません。ただ、最後の結びが、どうも志望動機としては、何か他人事のような弱い印象です。ふたつの出来事を経験して、その結果自分も看護師になりたいと思うようになったと、はっきり書くほうがいいでしょう。
それから、これは言っても仕方ないことですが、看護師が自分の母親の最期に際してどうだったか、という話は、自分の看護師志望動機の構成材料としては少々、理屈に合いません。看護師が自分の親の最期を見取ることなど生涯に2度しかないのですから、そういう特殊な場面を見てどうこうという話は、あまり適切ではないように思います。
看護師だからと言って、自分の親の最期に際して冷静だったという話が、果たして良いことなのかどうか、管理人には疑問です。必要な処置をきちんとしたという話なら別ですが。
>全体として出来は良いか
>簡潔にできる部分はないか・
⇒いっしょに回答します。概ね、良いのですが、ワンセンテンスにアレコレ詰め込みすぎて、すんなり理解しにくい部分があります。下記などです。
>私は現在、特別養護老人ホームに介護士として勤務しています。高校卒業後、半年の介護士養成学校を卒業し資格を得てから、教科書での知識と現場との差を身をもって経験しながら、利用者様一人ひとりの生活と関わらせて頂き自分の成長のために日々精進しています。
下記のようにするほうが、自然です。
私は高校卒業後、半年の介護士養成学校を卒業し資格を得て、現在、特別養護老人ホームに介護士として勤務しています。学校で習った教科書での知識と現場との差を身をもって経験しながら、利用者様一人ひとりの生活と関わらせて頂き自分の成長のために日々精進しています。
>この内容で自薦の文として活かせる部分はあるか
⇒上記に引用した冒頭の部分がその可能性はありますが、現状のままでは無理でしょう。
添削依頼2
アドバイスありがとうございます。添削とアドバイスよりもう一度書き直しました。
再度添削お願いします。
・書き換えの部分について・全体的に印象はどうなったか・言い回しの不自然な部分等はあるか
私は高校卒業後、半年の介護士養成学校を卒業し資格を得て、現在、特別養護老人ホームに介護士として勤務しています。学校で習った教科書での知識と現場との差を身をもって経験しながら、利用者様一人ひとりの生活と関わらせて頂き自分の成長のために日々精進しています。
その日々の中で、私の胸には二つの出来事が強く印象に残っています。一つは、ある利用者様の娘さんであり、普段は看護師さんとして働いておられる方との出会いでした。生活のお手伝いをさせて頂いていた中で訪れたその利用者様の「最期」に立ち会ったとき、傍で声をかけておられた娘さんは、身内であるというだけでなく一看護師として「死」に対する覚悟というものをもってその場で語り掛け接しられていたように感じました。
実際、私が感じた「覚悟というもの」がなんなのかは、私にはまだ実感できないものでしたが、娘さんの「エンゼルケアを私がやっても構いませんか?」という一言から私達もお手伝いさせて頂きながら、利用者様の最後のケアを共に行いました。娘さんは「普段仕事として何回もやってきたことでも、やっぱり自分の親となるとなんかちがいますね。」とおっしゃりながらも、てきぱきと適切な処置を行いつつ、最後の最後まで愛情を手から伝え、言葉として伝え、接しておられました。その姿に、私は自身ではまだ見ぬ現実を目の当たりにしたことに対する戸惑いと、娘さんのような方に対する強い憧れを感じました。
もう一つは、夜勤中ある別の利用者様がのどに痰がからみ、それを自身で吐き出せずに苦しんでおられる状況にあったとき、私達介護士は口からの吸引を施しますが、のどの奥にある痰を取り、より呼吸を楽にしてあげられるのは医療行為となる鼻からの吸引ができる看護師さんであるのだ、と苦しむ利用者様を目の前にして、対応を制限されることにもどかしさを感じたという出来事です。自分に医療の専門知識とそれに伴う医療行為としての技術があれば、、と思うことしかできませんでした。
私はこれらの出来事を経験して、誰の周りにも必然的に訪れる病や死に対してどう向き合っていけるのか、を考えさせられたと同時に、心に思うだけでなく自身で行動に移せるようさまざまな技術を身に付け、しかしそれが機械的な作業となるのではなく、人としての愛情を込めて活かせるような看護師になりたいと強く思うようになりました。
追加
冒頭の部分を自薦の内容として用いる場合、現状のままでは無理というのは、
ここに具体例を足していけば可能になるのでしょうか。
管理人回答:あまり格好をつけようとしないほうがいいでしょう。
>全体的に印象はどうなったか
>言い回しの不自然な部分等はあるか
どこを、どう書き換えたのか、管理人としては逐一比較対照できませんので、全体の話です。また、全体の印象と言い回しの不自然さは、同一ですので、いっしょに答えます。
ひと言でいえば、あまり格好良く書こうとしないことです。それをやろうとするために、おかしな表現が随所にあります。たとえば、
>まだ見ぬ現実を目の当たりにしたことに対する戸惑いと、
⇒「まだ見ぬ現実」を「目の当たりに」するとは、どういうことですか?まだ見ないのでしょう?それを目の当たりにするとは何の話ですか?
あるいは、
>ある利用者様の娘さんであり、普段は看護師さんとして働いておられる方
⇒普段も何も、看護師を職業としているのですから、そんな注釈は余計でしょう。
あるいは、
>実際、私が感じた「覚悟というもの」がなんなのかは、私にはまだ実感できないものでしたが
⇒感じたのですから、実感できたはずです。おっしゃっているのは、その正体が何なのか正確に判らないということでしょう。
あるいは、
>自分に医療の専門知識とそれに伴う医療行為としての技術があれば、、
⇒痰の吸引ができないのは技術や知識の問題ではなく、資格の問題でしょう?
ともかく、あらゆる部分で格好良く書こうとなさる姿勢がありありで、それがかえって全体を分かりづらくし、すんなる共感できなくさせています。文学作品ではないのですから、もっと素直にストレートに書くべきでしょう。
>冒頭の部分を自薦の内容として用いる場合、現状のままでは無理というのは、
ここに具体例を足していけば可能になるのでしょうか。
⇒それもありますが、これが自己推薦の根拠であるという文脈で表現されていないからです。