理学療法士専門学校自己推薦文 質問者/やし

現在、福祉系の大学に通う4年の男です。理学療法士の専門学校の社会人入試を受験するにあたって願書と共に提出します。
(質問)
・自己推薦文としてどうか?
・おかしな所はあるか?
・全体の印象
以上3点をお聞かせ下さい。よろしくお願いします。

●自己推薦文(800字)
人の人生の一部分に関わることは非常に責任のあることだと思う。それが医療という分野であれば、人体に関わる点でさらに重要である。私は大学生活の中で、人の人生の一片に関わることの重さを学び、人を敬い、思い
やる気持ちを大切にしてきた。これらのことは、大学生活で経験したボランティア活動や施設実習によって養われた。
ボランティア活動は、身体障害者療護施設にて週に1回、半日だが2年間、主に掃除や利用者の方とのコミュニケーションを行っていた。施設では、重度の障害を持った方が多く、部屋で寝たきりであるため話し相手もおらず、退屈そうであった。私は、挨拶をするときや話をするとき、笑顔を大切にした。私は人の笑顔を見ることが好きだ。笑顔で接すると笑顔で返ってくる。笑顔は、心を和やかにすると思うからである。ボランティアでは、何か役に立ちたいという思いで関わっていた。すると、自然に「また、来てくださいね」と利用者の方にいって頂けるようになり、私の関わりが認めてもらうことができた。
実習では、身体障害者更正施設にて一ヶ月生活訓練や退所までの援助計画・支援に関わらせて頂いた。社会復帰へ向けて、利用者の方の抱える問題の援助を行っていく中で職員の方に「あなたの関わりは、利用者の人生の記録に一生残っていくんだよ」という話を頂き、人の人生の一部分に自分が介入していくことの意味について考えさせられる経験となった。
私は、ボランティアと実習によって、どんな人と関わるにしても、「関わる人、一人ひとりに人生があり、尊重しなければならない」ということを学ぶことができた。
私は将来、大学での経験を生かし自己満足の治療で終わらない患者の視点に立った理学療法士になれればと思っている。そのためには、多くの他の職種とも連携が重要だと考え、貴校では、常に人に関わるということを意識して学んでいきたい。

“理学療法士専門学校自己推薦文 質問者/やし” への4件の返信

  1. 管理人回答:表現が回りくどすぎます。

    3点、お尋ねですが、すべて関連していますので、まとめる形でお答えします。

    管理人のように文章ばかり読んでいる人間や、この自己推薦を提出する先の担当者のような、だいたい事情が理解できている人間が読めば、言いたいことは概ね理解できます。
    しかし、それも少々、我慢が必要です。なぜなら、表現が回りくどすぎて、すんなり読めないのです。
    >人の人生の一部分に関わることは非常に責任のあることだと思う。

    人の人生の一部分って、何ですか?あとまで読めばわかりますが、ここだけ読むと、いったい何を言い出すのだ?と思います。ここで、つっかえてしまうのです。

    >それが医療という分野であれば、人体に関わる点でさらに重要である。

    ここもそうです。医療が、人体に関わることなど、そんなにオーバーに言わなくても、誰にでもわかることです。「医療なら、なおさらだ」で十分ですし、丁寧に説明するとしても、「それが医療のような人の体に関わる分野なら、なおさらだ」です。

    >人の人生の一片に
    >私の関わりが認めてもらうことができた。
    >利用者の人生の記録に一生残っていくんだよ

    ともかく、表現がオーバーで、回りくどくて、そのために、書いてある内容をすんなりと理解できないのです。そのため、つまり、そういう「おかしな所」が随所にあるため、「自己推薦文として」の目的が明確に果たせるものになっておらず、「全体の印象」がボヤケテしまっています。

  2. 添削ありがとうございます。

     指摘して頂いたところを改善してみました。お忙しい中申し訳ありませんが、もう一度添削をお願いします。

    私は大学生活の中で、人に関わるということの重さを学び、人を敬い、思いやる気持ちを大切にしてきた。これらのことは、大学生活で経験したボランティア活動や施設実習によって養われた。
    ボランティア活動は、身体障害者療護施設にて週に1回、半日だが2年間、主に掃除や利用者の方とのコミュニケーションを行っていた。施設では、重度の障害を持った方が多く、部屋で寝たきりであるため話し相手もおらず、退屈そうであった。私は、そういった方々の役に立ちたいと思い、挨拶をするときや話をするときは、笑顔を大切にした。私は人の笑顔を見ることが好きだ。笑顔は、心を和やかにすると思うからである。笑顔で接すると笑顔で返ってくる。すると、自然と会話も弾み、「また、来てくださいね」と利用者の方にいって頂けるようになり、心を込めて関われば、気持ちは通じるということを実感することができた。
    実習では、身体障害者更正施設にて一ヶ月間、生活訓練や退所までの援助計画・支援を行った。社会復帰に向けて利用者の方を援助していく中で、自立という言葉について、全てのことが自分でできることが必ずしも自立なのではなく、本人が何を望んでいるのか、本人のニーズによって異なる。そのニーズをしっかりと理解し、それに合わせた援助を行うことが大切だと気付かされた。このことは、人の生活を自分が援助していくということの意味を考えさせてくれる経験となり、どんな人と関わるにしても、「関わる人、一人ひとりに人生があり、尊重しなければならない」ということを学ぶことができた。
    私は将来、大学での経験を生かし自己満足の治療で終わらない患者の視点に立った理学療法士になれればと思っている。そのためには、多くの他の職種とも連携が重要だと考え、貴校では、常に人に関わるということを意識して学んでいきたい。

     前回と比べていかがでしょうか?文の内容など改善すべき点がありましたらご指導下さい。よろしくお願いします。

  3. 管理人回答:同じですね。

    >私は大学生活の中で、人に関わるということの重さを学び、人を敬い、思いやる気持ちを大切にしてきた。

    >利用者の方とのコミュニケーションを行っていた。

    文学作品でもあるまいし、なぜ、そういう持って回った言い方をするのですか?そういう倒置法のような表現で、読むものの感激が大きくなる、とでも思っているのですか?
    大学時代に、ボランティア活動で身体障害者施設で掃除奉仕や、話し相手になる活動をして、それを通して、人と関わる仕事のやりがいや面白さを知った、というのでしょう?それを素直に書いたらどうですか?
    たとえば冒頭からの下記ですが、

    >私は大学生活の中で、人に関わるということの重さを学び、人を敬い、思いやる気持ちを大切にしてきた。これらのことは、大学生活で経験したボランティア活動や施設実習によって養われた。ボランティア活動は、身体障害者療護施設にて週に1回、半日だが2年間、主に掃除や利用者の方とのコミュニケーションを行っていた。

    ⇒私は大学在学中の身体障害者療護施設でのボランティア活動や施設実習を通して、人に関わることの重さを学び、人を敬い思いやる気持ちを養うことができた。施設でのボランティア活動は週1回、半日だが、2年間、主に掃除や利用者の方との交流活動だった。
    などで、十分です。
    もし、自分の体験をカッコよく言おうとか、大きく見せようとか思って、そういう大げさな表現をしているのなら、まったく逆効果です。前回も言いましたが、単に判りにくくなっているだけで、読む人によっては、反感さえ抱きますよ。

    >心を込めて関われば、気持ちは通じるということを実感することができた。

    あなたは、これをもって、自分の身体障害者の人との関わり方が優れているといことを言いたいのでしょうし、事実、そうでしょう。しかし、この表現を素直に読めば、あなたは、とんでもない差別主義者に思えますよ。
    身体障害者の人は、「心を込めて」関わらないと、気持ちの通じない、特殊な人ですか?そう言っているのと同じですよ。
    身体障害の方というのは、単に、体が不自由で、それゆえに言葉も不自由だというだけの人でしょう?言葉が聞き取りにくいなどの点はあるけれど、よく聞いてみれば、言うことは普通だし、それだけのことだと分かった、という話ではないのですか?

    素直に、普通に、書いてください。

  4. ご指摘ありがとうございます。

     ご指摘ありがとうございます。
     丁寧に表現しようと思い書いていたら、結果回りくどくなってしまいました。体験をカッコよく書こうという気持ちがあったようです。
     今回の指摘について、文章を読み返し、素直に書けるよう考え直したいと思います。

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