教育学部、家庭科教員養成系学部を受ける予定の者です。
以下のように書いてみたものの、
少し具体性が足らないのではないかと思っています。
又、文章で特におかしな点がありましたら、ご指摘お願いします。
(800字程度)
私が教員になる夢を持ち始めたのは、自分の進路について真剣に考え始めた高校二年生の時です。私たちに分かり易く教えて下さる先生方に憧れていましたし、生徒が授業を理解できたとき、もちろん、一番嬉しいのは生徒ですが、先生も嬉しいはずです。そのような嬉しさを分かち合えればきっと幸せだろうなと思いました。私の父、兄、姉は教員として働いています。最も身近な三人から学校での出来事や授業の話、教員になるまでの話を聞くことができ、また、大変な仕事だがやりがいのある仕事だと言い、働いている姿を見ることが出来、私の教員になりたいという夢は一層大きくなりました。それと同時に教員になる難しさや「分かり易い授業」を行う難しさ、そのための教員の努力を知ることが出来ました。
私は以前、家庭科という科目を、無駄な科目と思っていました。なぜなら受験に必要なく、人間生活についてやってどうなるのかと思っていたからです。ですが、この考えは衣生活の衣服素材、繊維の性能や化学繊維の肌アレルギー問題を学び、これを知っていれば普段役に立つではないかと思い、とても大切な科目である事に気づくことが出来、打破されました。高校時代、私の周りに以前の私のような考えを持っている友人がいました。ですがその友人が住分野になると積極的に学ぶようになり、他の分野も熱心に学ぶようになり、家庭科に対する姿勢が変わっていました。このような姿を見て、私も人に対して家庭科を学び大切さに気付くきっかけ作りをしたいと思い、家庭科の教員になりたいという夢が出来、それを叶えるべく、貴校の○○○系コースを志望しました。
もし、貴校への入学が実現した際は、人間生活教育学分野を学びたいと思っています。こちらの分野の紹介文を読み、まさに私が学びたかった分野だと思ったからです。貴校の魅力でもある少人数教育の中、先生方のご指導のもと、学んだことを現場で生かせる家庭科教員を目指したいと思います。
管理人回答:具体性が足りません。
>少し具体性が足らないのではないかと思っています。
おっしゃる通り、具体性が足りません。とくに、一つ目の段落です。
後段の、父、兄、姉の、たとえばどんな話を聞いてそう思うようになったのか、まるで具体性がないために、頭で考えただけの説得力のない文章になっています。
とくに、その前段の部分で、自分で体験したこともない教員の喜びを、「嬉しいはずだ」などと決め付け、それを教員志望の理由にしているという、非論理的な主張があるだけに、余計、父、兄、姉の話の具体性のなさが、気になります。
>又、文章で特におかしな点がありましたら、ご指摘お願いします。
ふたつめの段落の内容が、無理に作った話だろうという印象がぬぐえません。
そもそも、家庭科教師を目指そうという人が、以前のこととはいえ、家庭科を無駄な科目だと思っていたという話が、嘘か本当かは別にして、まったく説得力を持ちません。
本当の話なら、その考えを改めるに至った事情に、まるで説得力がありません。お書きのような話で考えを改めるくらいなら、最初から、その重要性など理解できているはずです。
友人の話も、よく読めば言いたいことは理解できますが、わざわざ書くほどのことでもないなという印象です。
昨日は添削していただき有難うございます。
管理者さまのアドバイスのもと。再度考え直してみました。
お手数ですが添削お願いします。
※「です」「ます」調から「だ」「である」調に語尾を変えてみたのですが、
不慣れなもので、不自然な部分があるかと思われます。
もし、ありましたら、不自然な部分のご指摘よろしくお願いします。
私が教員になる夢を持ち始めたのは、進路について真剣に考え始めた高校二年生の時だ。私の父、兄、姉は教員として働いるので、最も身近な人から学校での出来事や授業の話、教員になるまでの話を聞くことができた。例えば、自分が行なった授業で、生徒が授業を理解し、テストでいい点を取ってくれた時、もちろん一番嬉しいのは生徒だが、教師も嬉しく、そのような嬉しさを分かち合える瞬間は幸せだ。という話を聞き、私もそのように分かち合うことが出来れば幸せだろうなと思ったのである。また、大変な仕事だがやりがいのある仕事だと言い、自宅でも働いている姿を身近に見ることが出来た。このように教員という職業が身近に感じられる環境の中、私の教員になりたいという夢は一層大きくなった。それと同時に教員になる難しさや「分かり易い授業」を行う難しさ、そのための教員の努力を学ぶ事が出来た。
私は以前、家庭科という科目を、無駄な科目と思っていた。なぜなら受験に必要なく、特に役にたたないと考えていたからだ。昔、私はセーター着用時に痒さを感じ、肌にアレルギー反応のようなものを起こしたことがある。その時は詳しい原因には気付けなかったが、授業で繊維による肌アレルギー問題を学び、あの時の原因がセーターの繊維にあったことに気付けたのである。これを知っていれば、あのような事は起きなかった。このような体験からとても大切な科目である事に気づくことが出来、以前の考えは打破されたのだ。そして、私は人に対して家庭科を学ぶ大切さに気付くきっかけ作りをしたいと思い、家庭科の教員になりたいという夢が出来たのだ。それを叶えるべく、貴校の生活人間系コースを志望したのである。
もし、貴校への入学が実現した際は、人間生活教育学分野を学びたいと思っている。分野の紹介文を読み、まさに私が学びたかった分野だと思ったからだ。貴校の魅力でもある少人数教育の中、先生方のご指導のもと、学んだことを現場で生かせる家庭科教員を目指したいと思っている。
管理人回答:家庭科を見直した理由に説得力がありません。
全体に、具体的にはなりました。
しかし、家庭科を無駄と思っていたのが、そうではないと考えを改めたという事情に、説得力がない印象です。
■無理に理由をつくるわけにも行かないでしょうから、対策を考えてみます。
説得力のなさは、セーターの繊維によるアレルギーという、大した話でもないことをオオゲサに書くからです。そのために、この全体がフワフワとした、うそ臭いものになっています。
たとえば、打破などという、オーバーな言葉使いはやめなさい。何の効果もありません。また、
>これを知っていれば、あのような事は起きなかった。
この文章も、気持ちはわかりますが、言い過ぎです。そういうアレルギーがあることを知っていたとして、自分がそうだとは、誰もわからないでしょう。未然に防げたというのは、言い過ぎです。
そういう言葉使いや表現を改めた上で、論旨も少し変えるほうがいいでしょう。
ひとつは、単にアレルギーを経験したというだけでなく、そのためにどう苦労したか、の説明をすることです。
その上で、そういうアレルギーの問題など、人が生きるうえで大切な知識を学べる科目なのだという自分の認識を書けばいいのです。
当然、以前は「無駄な科目と思っていた」という記述は、トーンダウンすべきです。
あまり重視していなかった、そんなに大事な科目とは思っていなかった、という程度にすべきでしょう。
■句読点の使い方をチェックしてください。
■よほど「気付く」という言葉が好きなのですか?学ぶうえで「気づき」は大切ですが、ここまで乱発すると目障りですし、適切でない使い方もあります。
お願いします。
前回も引き続き、適切なアドバイス有難うございます。
2段落目を自分なりに直してみましたがどうでしょうか?
お忙しいとは思いますが、アドバイスお願いします。
私が教員になる夢を持ち始めたのは、進路について真剣に考え始めた高校二年生の時だ。私の父、兄、姉は教員として働いるので、最も身近な人から学校での出来事や授業の話や教員になるまでの話を聞くことができた。例えば、自分が行なった授業で生徒が授業を理解し、テストでいい点を取ってくれた時もちろん一番嬉しいのは生徒だが、教師も嬉しく、そのような嬉しさを分かち合える瞬間は幸せだ。という話を聞き、私もそのように分かち合うことが出来れば幸せだろうなと思ったのである。また、大変な仕事だがやりがいのある仕事だと言い、自宅でも働いている姿を身近に見ることが出来た。このように教員という職業が身近に感じられる環境の中、私の教員になりたいという夢は一層大きくなった。それと同時に教員になる難しさや「分かり易い授業」を行う難しさ、そのための教員の努力を学ぶ事が出来た。
私は以前、家庭科という科目をあまり重要視していなかった。なぜなら受験に必要なく、特に役に立たないと考えていたからだ。私が家庭科の服アレルギー問題を学習中に昔、私はセーター着用時に痒さを感じ、肌にアレルギー反応のようなものを起こしたことを思い出した。その時、寒がりな私には冬にセーターは必要な物であったので、痒くないセーターを探したが中々見つからず、冬に寒く辛い経験をしたことがある。この経験は家庭科で習った問題に当てはまり、家庭科はアレルギー問題などの、生活に必要な基礎的知識や技術を学ぶ事が出来る科目だということが分かり、考えは改められたのだ。そして、私は人に家庭科を学ぶ大切さに気付くきっかけ作りをしたいと思い、家庭科の教員になりたいという夢が出来たのだ。それを叶えるべく、貴校の生活人間系コースを志望したのである。
もし、貴校への入学が実現した際は、人間生活教育学分野を学びたいと思っている。分野の紹介文を読み、まさに私が学びたかった分野だと思ったからだ。貴校の魅力でもある少人数教育の中、先生方のご指導のもと、学んだことを現場で生かせる家庭科教員を目指したいと思っている。
管理人回答:余計に判りにくくなったようです。
面倒なので、論旨展開の例を示します。
1.その教師の中でも、自分は家庭科教師をめざしている。
2.しかし、以前は家庭科をあまり重要とは…
3.その考えが変わったのは、家庭科でアレルギーの問題を学んだ時である。
4.衣服によっては肌にアレルギー症状を起こすものがあるという話だったが、…
5.それを聞いて、自分の昔の体験を思い出した。それは…
6.こう考えてみると、家庭科というのはなるほど受験には必要ないが、しかし重要でないどころか、生きる技術を学ぶ非常に重要な科目で…
7.自分は、そういう家庭科を若者たちに教える教員になりたいと考えた。
この論旨で文字数が増えすぎるなら、今の最後の段落は削除しても構いません。不要です。
それから、一段目については質問がないので余計なことですが、下記、
>それと同時に教員になる難しさや「分かり易い授業」を行う難しさ、そのための教員の努力を学ぶ事が出来た。
⇒「変な仕事だがやりがいのある仕事だ」という話を聞いたり、「自宅でも働いている姿を身近に見ることが出来た」りした程度で、なぜ『「分かり易い授業」を行う難しさ』を学ぶことなどできたのでしょう。あまりに観念的で、説得力のない話です。