投稿日: 2007年5月24日2017年7月29日 投稿者: 管理人獣医学編入志望動機 質問者/あき 私は農学系の大学から、別分野の獣医学への編入を希望しているものです。 私が、編入を考えるきっかけとなったことに愛犬の死があります。 しかし、別分野への編入を考える際に、現在の大学の研究の延長上にあるもで、志望しないと駄目なのでしょうか。
管理人回答:回答不能です。 ここは、文章についてのアドバイスなどをさせていただく場所です。 お尋ねになっているのは、編入学の考え方、制度そのものについてのことです。 あなたが編入学を希望する大学がどのように指示しているのかもわからないので、お答えのしようがありません。 ただ、一般的に言えば、自分の考え方や人生の目的が変わったために、別の教育機関で学び直したいと思うようになったのですから、今の延長線上になければならないという話では、編入学制度自体が、非常にいびつな、片手落ち的なものになりますね。もちろん、それを承知の上で、延長線上の志望しか認めないという学校もないとは言えません。 要するに、回答不能です。 返信
添削のお願い 編入 志望理由書 すみません。 先ほどの記事が途中で切れてしまったため、改めてお願いします。 私が獣医師を目指した背景には、愛犬の死がある。死の1年ほど前に癌を患ったのだが、手術後の経過は良好といわれ、定期的な検査もしていた矢先の突然死だった。目に見えないところで何かが起こったのか、まったく死因もわからなかった。十分な支えをしてあげることができなかったことを悔やんだ。死後に、死因が何であったのか、調べることもできるといわれたが、両親はそれを拒んだために、理由もわからなかった。病院には、母が連れて行っていたが、何を話しているのか良くわからない、ということで、本当に適切な処置ができていたのか心残りであった。もちろん獣医師すべてが、信頼に置けないものだとは思っていないが、我が家では、めぐり合うことができなかった。 また、愛犬の死後に、軽度ではあるが両親がペット・ロス状態になった。 これらの経験を通して、獣医師とは、生きとし生けるものすべてを、あらゆる意味で救うことができる人である必要があると考えた。 編入後は、愛犬を失った経験から、予防医療を学びたいと考えている。今、獣医師も専門分野に分かれ、それぞれの分野において、技術の高度化を目指しているが、私は、その基礎の部分を担いたいと思っている。 このあとに大学について触れ終わろうと思っています。 よろしくお願いします。 返信
管理人回答:背景しか書かれていません。 好意的に解釈すれば、志望理由だと理解はできますが、厳密に読めば、背景しか書かれていません。 愛犬が死んだ時、十分な納得の行く医療が受けられなかった、ということですが、ではなぜ、それが自分の獣医志望につながるのですか? 動物に限らず、身近な人や生き物の死に際して、十分な医療を受けられなかった人は、自動的にすべて自ら医師・獣医師をめざすわけではないでしょう? コレコレだから、私は自分自身が獣医となってウンヌン、という一文が要りますね。 また、ペットロス状態という話は、まあ、よく勉強していると解釈できないこともないですが、これも意地の悪い見方をすれば、どこかの獣医科大学や専門学校のホームページでも見て、そこにある話に合わせて書いた、と見られる恐れもあるでしょう。もっと、自分の体験として自然な言葉を使うほうが、説得力はあるのではないですか? さらに、 >愛犬を失った経験から、予防医療を学びたいと考えている。 これは理屈として、少し変ではないでしょうか。動物の癌の予防などということが現実的な話なのかどうか、少し疑問を感じます。 返信
管理人回答:回答不能です。
ここは、文章についてのアドバイスなどをさせていただく場所です。
お尋ねになっているのは、編入学の考え方、制度そのものについてのことです。
あなたが編入学を希望する大学がどのように指示しているのかもわからないので、お答えのしようがありません。
ただ、一般的に言えば、自分の考え方や人生の目的が変わったために、別の教育機関で学び直したいと思うようになったのですから、今の延長線上になければならないという話では、編入学制度自体が、非常にいびつな、片手落ち的なものになりますね。もちろん、それを承知の上で、延長線上の志望しか認めないという学校もないとは言えません。
要するに、回答不能です。
添削のお願い 編入 志望理由書
すみません。
先ほどの記事が途中で切れてしまったため、改めてお願いします。
私が獣医師を目指した背景には、愛犬の死がある。死の1年ほど前に癌を患ったのだが、手術後の経過は良好といわれ、定期的な検査もしていた矢先の突然死だった。目に見えないところで何かが起こったのか、まったく死因もわからなかった。十分な支えをしてあげることができなかったことを悔やんだ。死後に、死因が何であったのか、調べることもできるといわれたが、両親はそれを拒んだために、理由もわからなかった。病院には、母が連れて行っていたが、何を話しているのか良くわからない、ということで、本当に適切な処置ができていたのか心残りであった。もちろん獣医師すべてが、信頼に置けないものだとは思っていないが、我が家では、めぐり合うことができなかった。
また、愛犬の死後に、軽度ではあるが両親がペット・ロス状態になった。
これらの経験を通して、獣医師とは、生きとし生けるものすべてを、あらゆる意味で救うことができる人である必要があると考えた。
編入後は、愛犬を失った経験から、予防医療を学びたいと考えている。今、獣医師も専門分野に分かれ、それぞれの分野において、技術の高度化を目指しているが、私は、その基礎の部分を担いたいと思っている。
このあとに大学について触れ終わろうと思っています。
よろしくお願いします。
管理人回答:背景しか書かれていません。
好意的に解釈すれば、志望理由だと理解はできますが、厳密に読めば、背景しか書かれていません。
愛犬が死んだ時、十分な納得の行く医療が受けられなかった、ということですが、ではなぜ、それが自分の獣医志望につながるのですか?
動物に限らず、身近な人や生き物の死に際して、十分な医療を受けられなかった人は、自動的にすべて自ら医師・獣医師をめざすわけではないでしょう?
コレコレだから、私は自分自身が獣医となってウンヌン、という一文が要りますね。
また、ペットロス状態という話は、まあ、よく勉強していると解釈できないこともないですが、これも意地の悪い見方をすれば、どこかの獣医科大学や専門学校のホームページでも見て、そこにある話に合わせて書いた、と見られる恐れもあるでしょう。もっと、自分の体験として自然な言葉を使うほうが、説得力はあるのではないですか?
さらに、
>愛犬を失った経験から、予防医療を学びたいと考えている。
これは理屈として、少し変ではないでしょうか。動物の癌の予防などということが現実的な話なのかどうか、少し疑問を感じます。
削ありがとうございました
参考にさせていただきます。
本当にありがとうございました。