◎質問者(文章執筆者)の性別/女性
◎質問者(文章執筆者)の年齢・学年/社会人、24歳
◎文章の用途(「入試用の志望動機」など)/社会人入試用の自己推薦文
◎文章の提出先(受験する大学、会社など)/看護学校
◎チェックしてほしい事柄・ほしいアドバイス/1600字程度で読み手に分かりやすく、且つ幼稚な文章になっていないか。文章がまとまっているか。
◎質問したい事柄/自己推薦文として成り立っているか。
添削お願いいたします。
私は一度看護の道に進み、挫折を経験しています。実習で毎日のように徹夜で作り上げてきたレポートを跳ね返されたり、先生に私の考えを話すと衝突してしまうということが続きました。次第に「私の考えは看護師に向いていない」と思うようになり、体も心もついていけなくなってしまい学校を辞めることになったのです。
数年後、まだ看護に対して臆病な気持ちを持っていた私は、ある登山家との出会いをきっかけに再び看護の道へと前進しました。単独無酸素という状況で世界の高峰の山々を登るという、誰もが無謀だと思う登山を彼は行っていました。「全ての事に感謝、無理は絶対にしない」をポリシーとし、一つまた一つと世界の山々を制覇していく姿にどんどん引き込まれ、インターネットの動画で応援するようになりました。彼の奮闘する様子はまるで私に、失敗して気づけた事があったのではないか、しっかりと当時の自分と向き合ったのかと問いかけているようで胸が痛くなりました。長い間当時の自分と看護に向き合うことを恐れていた私は、その時初めて辛く苦しかった学校生活を振り返り、クラスメートに素直に相談できなかった事や周囲に感謝の気持ちを持って行動できていなかったと気づきました。
そうしてもう一度看護と向き合ってみようと思い、学校で学んだ経験を生かそうと看護助手の仕事に就きました。看護助手の仕事も覚える事が多くただひたすら勉強の毎日でしたが、私は幼い頃から何事もコツコツと努力する人間であったため、教わったことは少しでも聞き逃さないようにメモを取り、家へ帰っても復習していました。それを自分のものにするのには人一倍頑張らなければなりませんでしたが、助手の先輩や看護師の方の支えがあったため楽しく仕事をができ、私の失敗した過去の記憶をしっかりと受けとめさせてくれ、大丈夫だと背中を押してくれたように感じます。
看護師をもう一度目指そうと決めたのは、同じ病棟の看護師が患者さんに処置をしていた時に、直接助手の仕事でない技術を目に焼き付けようとしていた自分に気づいた事がきっかけです。また新たに働いた病院では精神科のため心に病を持った方と接しており、助手として患者さんの気持ちに寄り添う事を大切にしていました。しかし看護師の一言は助手の一言より一層説得力があり、患者さんは途端に安心した表情になります。その時、患者さんにとっていかに看護師が心やすらぐ存在であるかを感じ、私も患者さんの助けになりたい、寄り添いたいという思いが強くなり、看護師を目指そうと決めました。
職場は学生時代にも体感したように、命を預かっている現場のため何かを怠れば死を招いてしまう恐れがあります。今までに患者さんに危険な行為だと知らずに気づかないでケアをし、看護師にひどく注意されたことがあります。注意をされた瞬間は怒られているという事にショックを受けていましたが、次第にどれだけ不注意な事をし、患者さんを危険な目に合わせてしまったのだろうと、私が行ってしまった事に対しショックを受け反省しました。その時学んだ事は、自分の推測だけで行動するのではなく、周りとの情報交換が必要だという事です。看護助手の仕事を経験したことにより、病棟の中だけでなく病院の様々な職種の方との連携の大切さを知り、周りに仲間がいるからこそ自分が動けるのだと思いました。
貴校に在席したいと思った理由は、貴校の学生と私がよく利用している電車で一緒になり、楽しげな様子を見ていたからです。電車の中でテストの勉強をしていて大変そうでしたが、学生達の表情はとても楽しそうでキラキラしていました。その印象が胸に残っており今回貴校を受験しようと決めました。先生方が個人の個性を尊重しながら指導しているのだろうと感じ取ることができ、目的を持ち看護と向き合う事ができた今だからこそ貴校でもう一度学び、看護師という仕事に就き、もっと向上していきたいと思いました。
入学後は仲間とのコミュニケーションを大切にし、お互いを高めあえるような関係作りをしていきたいです。悩みや相談をがある時には、一人で抱え込まずに同じ目標を持って集まった仲間と一緒に解決していこうと思います。私が出会った登山家が周りに支えられながら山を登っているのと同じように、私もいつも周囲の人に助けられている、過去の自分があったから今の自分があるのだと思いながら前に進んで生きたいと思います。
管理人回答:自己推薦文とは言えません。
>自己推薦文として成り立っているか。
⇒成り立っていません。
基本的に看護師としての適性がないことを告白しているようなものです。とくに冒頭の段落がひどいですね。「先生に私の考えを話すと衝突してしまうということが続きました」ということは、あなたが指導者の言葉に素直に耳を傾けることのできない、自己主張ばかり強い人物だということになります。看護という専門性の強いことを学ぶのに、教員と衝突してどうするのですか。
いくら、あとで反省したと書いても、いったんそんなことを書いてしまっては、後の祭りです。
看護助手としての仕事について書いている中にも、
>今までに患者さんに危険な行為だと知らずに気づかないでケアをし、看護師にひどく注意されたことがあります。
などとあります。卒業はできなかったにせよ、一度は看護学校で学んで基本的なことは理解しているはずの人が、いくら看護「助手」の仕事とは言え、担当看護師からひどく注意されるようなことをするというのは、どう考えても看護職に不向きだという証拠です。
他にも、自己推薦らしいことが書いてあるのは、
>私は幼い頃から何事もコツコツと努力する人間であったため、教わったことは少しでも聞き逃さないようにメモを取り、家へ帰っても復習していました。
という部分くらいですが、それも実際、そういう人間であることの説明がほとんどありません。
>1600字程度で読み手に分かりやすく、且つ幼稚な文章になっていないか。
⇒1600字程度でとおっしゃっても、現状は2000字あります。ご自身で減らしてください。
読み手に判りやすくもありません。たとえば、「ある登山家との出会いをきっかけに再び看護の道へと前進しました。」というと、実際に会ったのだと解釈しますが、その後に書いてあるのは、「インターネットの動画で応援」ということくらいです。実際に会ったのなら、そのことが判るように書くべきでしょうし、実際に会っていないなら、紛らわしい書き方はやめるべきでしょう。
幼稚な文章も多いです。たとえば、
>体も心もついていけなくなってしまい学校を辞めることになったのです。
>再び看護の道へと前進しました。
>彼の奮闘する様子はまるで私に、失敗して気づけた事があったのではないか、しっかりと当時の自分と向き合ったのかと問いかけているようで胸が痛くなりました。
>私の失敗した過去の記憶をしっかりと受けとめさせてくれ、大丈夫だと背中を押してくれたように感じます。
他にもありますが、要するに、まるでテレビドラマの主人公、それもかなり安物のテレビドラマの主人公のように書く、その姿勢が、幼稚そのものです。自分を飾ろうとせず、もっと素直に書かないと、読み手の共感は得られません。
>文章がまとまっているか。
⇒まとまっていません。上記に指摘したように、おかしな表現が多過ぎます。他にも、「貴校に在席したいと思った理由は、」(⇒単に、「貴校で学びたいと思った理由は、」でよいのです。なぜ、在席などというおかしな言葉を使うのですか)など、間違ってはいないものの、ズレた表現やズレた言葉の使い方が多く、読む者を、イライラさせます。
再添削お願いいたします
全て書き直してみました。
*自己推薦文といえるか
*幼稚な表現や言葉遣いがないか
再度見ていただけますでしょうか。お願いいたします。
私は、1年半病院の精神科で看護助手をしていました。人と接するこの仕事はやりがいがあり、患者さんの役に立てた時はとても嬉しいです。そして助手の仕事を通じ、その人らしさを引き出すケアの大切さを学びました。それはある看護師から学び、私が看護師を目指すきっかけになりました。
彼女はいつも元気で、病棟のムードメーカーでした。仕事は厳しく、時には優しく教えてくれ、私の憧れの存在です。ある時、精神科の患者さんで全身の筋肉が硬直し、自分で動くことも話すこともできなかった方がいました。しかし彼女の声かけに対し一生懸命口を開け、声を出して返事をしました。彼女は、患者さんの今出来る動作を最大限に引き出そうとする方で、一人ひとりの患者さんと真剣に向き合っていました。現在、高齢化社会の中で認知症やうつ病でケアを必要とする人々が増えています。また、とても身近な病気です。ケアを必要とする人やその家族の気持ちを理解し、適切な看護を提供できる看護師が必要だと思います。私も彼女のような看護師に看てもらえたら安心できると思うようになってから、多くの人々の心の支えになれるような看護師になりたいと思いました。
私は一度看護師を志望し、諦めたことがあります。看護師になることがどれ程困難なことか経験しています。しかし、学校で学んだ技術を生かしたいと思いもう一度看護職に携わり、少しでも人の役に立ちたいと考えてきました。私は普段から相手の立場となって行動するよう心がけている人間です。看護の道を挫折して得られた事も多く、困っている人がいれば誰よりもその人の気持ちを理解し、手を差し延べたいと思っています。それを私の長所だと認識したのは、ケアをする度に不機嫌になる患者さんと出会ったからです。すぐに怒り出すため、ほとんどの看護師は近寄りづらいと話していました。私も初めはなぜ怒っているのか分かりませんでしたが、なるべく積極的に話しかけようと、何度も病室を訪問していました。そのうち、声かけに対しまだ表情は怒っていたものの、物腰が柔らかくなってきているのを感じました。返してくれる言葉は一言でしたが、私の名前を覚えてくれ、それだけで十分嬉しい気持ちでした。患者さんが退院の日の朝、いつものように話しに行き、「今日でお別れですね」と話すと、「あぁ、そうか。あんたにはたくさん迷惑かけたね。いつも悪いと思っていたよ、ごめんね。いい看護婦さんになるんだよ、ありがとね」と話してくれました。私は時々、側にいることで余計な神経を使い、疲れているのではないかと不安に感じた時があったため、涙が出るほど嬉しく、私のしていた事は間違っていなかったのだと思いました。私の考えですが、きっとその方は体の不自由さを誰も理解してくれないと不満を抱き、私達に怒りをぶつけていたのではないかと思いました。もっと人の気持ちを汲み取ることのできる看護師になれるよう長所を伸ばしていきたいです。
そしてこの長所を生かし、夢を実現できる環境で学びたいと思い、数ある看護学校の中、貴校を志望しました。貴校の学生とは私がよく利用している電車で一緒になり、いきいきとしている様子を見ていました。電車の中でテストの勉強をしていて大変そうでしたが学生達の表情はいつも楽しげでした。その印象が残っており貴校を受験しようと決めました。先生方が個人の個性を尊重しながら指導しているのだろうと感じ取ることができ、貴校で学び、資格を取り卒業したいと思っています。 入学後は仲間とのコミュニケーションを大切にし、お互いを高め合えるような関係作りをしていきたいです。悩みや相談がある時には、一人で抱え込まずに同じ目標を持って集まった仲間と一緒に解決していこうと思います。いつも周囲の人に助けられている事に感謝し、今までの経験をバネにして勉学に励み、一から基礎学力や看護技術を積極的に学びたいです。
管理人回答:嫌な自己推薦文です。
>自己推薦文といえるか
⇒タイトル通りです。
あなたは、一人前の現役看護師より、自分のほうが患者をよく理解し、患者からも感謝されたと書いているのですよ。判っていますか?
それが事実かどうか知りませんが、いくら自己推薦だからといって、そういうことを書く人に誰も好感は持てないでしょう。自己推薦の形になっていたとしても、効果として自己推薦にはなっていないでしょう。
>幼稚な表現や言葉遣いがないか
⇒前回も指摘したはずです。自分を、テレビドラマの主人公のように書くのはおやめなさい。それ自体が、非常に幼稚に見えるのです。