大学3年次編入志望動機 質問者/みかん

◎質問者(文章執筆者)の性別/女
◎質問者(文章執筆者)の年齢・学年/20歳 大学2年
◎文章の用途(「入試用の志望動機」など)/ 大学3年次編入の志望動機/志望理由
◎文章の提出先(受験する大学、会社など)/ 国際系

こんにちは。私は今海外の大学に通っているもので、日本の国際系大学に3年次での編入を希望しています。実は、その日本の国際系大学に2年前受験して、合格をしたのですが、海外の大学に行くと決めた為蹴ってしまいました。今2年経って、どうしても日本に帰国しなくてはいけない理由が出来てしまいました。この出願の経験は編入志望動機に組み込んだ方がよいのでしょうか?アドバイスの方宜しくお願いいたします。

“大学3年次編入志望動機 質問者/みかん” への7件の返信

  1. 管理人回答:本来の守備範囲ではありません。

    お尋ねの件は、管理人の本来の守備範囲ではない事柄です。
    それを承知で、常識的にお答えしておきます。
    もちろん、入れるべきでしょう。それを入れないと、不自然極まりない志望理由になりかねませんし、一度は合格した実績があることもアピールしておくべきでしょう。

  2. ◎質問者(文章執筆者)の性別/女
    ◎質問者(文章執筆者)の年齢・学年/大学2年
    ◎文章の用途(「入試用の志望動機」など)/大学3年次編入の志望動機/志望理由
    ◎文章の提出先(受験する大学、会社など)/国際系 人文社会学
    ◎チェックしてほしい事柄・ほしいアドバイス/
    志望理由がはっきりしっているかどうか。

    ◎質問したい事柄/
    こんにちわ。志望理由を書いてみましたので、添削を宜しくお願いいたします。

    2年前、私は○○○学部に合格したが、悩んだ末、一番興味のあるコミュニケーション学を学ぶ為にアメリカに渡った。というのも、コミュニケーション学を学ぶには、人種のサラダボールである合衆国が日本よりは学びやすい環境だと思ったからだ。しかし、幅広い授業を取って行く中で、違和感を抱き始めた。というのも、当然ながら全ての授業ではアメリカを中心とした社会の動き見ていたからだ。そこで私は自分に問いかけた。果たして私は将来、日本人として世界に貢献できるのかと。海外の大学でアメリカの中のマスメディアや社会学を学ぶのは世界を学ぶことに一番近い方法であると感じるが、日本が歴史のなかで乗り越えてきたこと、失敗してきたことを知ることが将来日本人である私の自信につながり、世界へと通じる日本人になると感じたからだ。

    私は自分が双子であるということで、自分のアイデンティティが分からずにいた。というのも、経験上双子であるということで、自分の個性の表現の仕方が周りの固定概念に圧迫され、分からないでいた。そこで他の人々のアイデンティティの確立の仕方に興味を持った。私は大学の社会学の授業で音楽(サブカルチャー)を通しての若者のアイデンティティの確立についてを学んだ。音楽とは、感情を表現するコミュニケーション方法の一つである。私たちの身近な世界に目を転じてみれば、国歌から始まり、政治的抗議、讃美歌、ラブソングまでもが全て音楽というコミュニケーションツールで世界に発信している。しかし、若者の中では、流行の音楽を追うことが作法であり、規準から逸脱しない為のルールなのである。流行が過ぎ去れば、自信の価値も自尊心も落ちてしまうという、多くの若者にとって音楽とアイデンティティとは価値の尺度を図っている媒体にすぎないと。そして、こうした不安定なアイデンティティの確立の方法が精神不安、(あるいは自殺)に否定的に導いてしまっていると思う。
    私は、こうした現代的諸問題を克服し、新たな文化的アイデンティティや文明を構築するためには、今一度、人間や社会の在り方について問い直すことが必要であり、貴学にある、人文社会科学が有する批判的役割や文化の担い手としての役割、様々な形でのフィールドワークを用いて、解決策を導けるのではないかと考える。そしてまた、21世紀において人の豊かさ、望ましい姿とは何かを深く学ぶ必要がある。
    卒業後は貴学で学んだ経験を生かし、音楽や映画などの視覚的技術を使って幅広く、人々に個々のアイデンティティの確立の手助けをしたいと思っている。

  3. 管理人回答:支離滅裂に近いです。

    >志望理由がはっきりしっているかどうか。
    ⇒タイトル通りです。
    前段の理屈も、共感も納得も得られない、自分勝手な理屈です。コミュニケーション学なるものを学ぶことと、日本人としてのアイデンティ(日本が歴史のなかで乗り越えてきたこと、失敗してきたことを知るというのは、要はそういうことでしょう)について学ぶということとは何ら矛盾しません。そもそも、コミュニケーション学を学ぶために留学したのなら、「日本が歴史のなかで乗り越えてきたこと、失敗してきたことを知る」ことができないということを理由に、その留学生活を断念する理由にならないでしょう。

    後段はもっと理解不能です。
    双子であるということで、なぜ、自分の個性の表現の仕方が周りの固定概念に圧迫されるのか、さっぱり理屈が理解できません。単に双子であるから、同じように見られるというだけのことかも知れませんが、それでなぜ自分のアイデンティティを確立できないのですか?もちろん、一卵性双生児なら、考えや行動、嗜好などが似てくるということがあるらしいですが、それはそういうもので、自分で自分らしさを求めたいというなら、そうすれば良いだけのことでしょう。

    たとえば下記など、ほとんど何が言いたいのか不明です。
    >流行が過ぎ去れば、自信の価値も自尊心も落ちてしまうという、
    >多くの若者にとって音楽とアイデンティティとは価値の尺度を
    >図っている媒体にすぎないと。

    音楽を愛好して、その愛好する音楽の流行が終わることが、なぜ、自信の価値や自尊心につながるのか、さっぱり判りません。
    「人種のサラダボール」とか「自信の価値」が落ちるとか、「作法」とか、「価値の尺度を図」るとか、意味不明の言葉、とんちんかんな用例も多く、読むものをイライラさせ、読む気を失わせる文章です。
    奇をてらったり、利口に見せたりしようとせず、もっと普通に書いたらどうですか。

  4. 書き直して見たので、再度添削宜しくお願いします。

    2年前、私は国際教養学部に合格したが、悩んだ末、その時一番興味があったコミュニケーション学を学ぶ為にアメリカに渡った。というのも、私は自分が一卵性双生児であるということで “I” と “We” の使い分け、周囲の「双子」があるべき姿を自分の特権として上手く利用し、またある時には、その特権に嫌悪感も抱いていた。この特殊な特権で人とのコミュニケーションを円滑に行うことが出来ずにいたことから、他者のコミュニケーションの仕方に興味を持ち、様々な背景をもつ人々であふれる合衆国が日本より学びやすい環境にあると思ったからである。しかし、色々なフィールドの授業を通して、違和感を抱き始めた。多くの授業の中で、日本人の描写が日本人ではなく、アジア人としての広いアイデンティティで確立されてしまっていることに疑問を覚えた。これをきっかけに、私は人の現代文化を通してのアイデンティティの確立の過程に興味を持った。
    そして、日本の社会学、歴史、経済、そして現状を肌身に感じ、他国文化と比較したうえで初めて日本人としてのアイデンティティを確立することができるのではないかと考えた。そこで日本で唯一国際的な教育環境の長い歴史があり、様々な国際的背景を持った生徒が集まっていることで日々新しい刺激を受けられる貴学部の魅力は私にとって理想的な環境であるのだ。
    私は大学の社会学の授業で現代文化(サブカルチャー)を通しての若者のアイデンティティの確立について学んだ。貴学部では、現代文化の在り方がいかに、人々のアイデンティティの形成に密接に絡み合っているかの本質を探っていきたい。 アメリカで学んだことも生かし、特に、メディアを通した、現代音楽の在り方とアイデンティティの確立の関係性を研究しきたいと考えている。というのも、音楽とは言語を超えたミュニケーション方法の一つであると私は考えているからだ。私たちの身近な世界に目を転じてみれば、国歌から始まり、政治的抗議、讃美歌、ラブソングまでもが全て音楽というコミュニケーションツールで世界に発信している。しかし、若者の中では、流行の音楽を追うことが彼らのアイデンティティの確立の方法であるとともに、社会の規準から逸脱しない為のルールでもあるのだ。その流行が過ぎてしまえば、それと共に、自分の価値も堕ちてしまうという不安に駆られてしまう。つまり、他者との同化が彼らに安心感を与えている、反面、その中から彼らは社会でどう言う位置づけにあるのか、自分なりの個々の価値を見出す術が分からなくなっているのではと考える。
    こうした、現代的諸問題を克服するには、人間や様々な国の社会の在り方について問い直すことが必要であり、人文社会科学の持つ批判的役割や文化の担い手としての役割、様々な形でのフィールドワークを用いて解決策を導いていけるのではないかと考える。そしてまた、現代社会において人の豊かさ、望ましい姿とは何かを深く学んでゆきたい。 
    卒業後はアメリカと貴学で学んだ両方の経験、知識、交流を生かし、音楽や映画などの視覚的技術(メディア)を使って幅広く、人々に個々のアイデンティティの確立の手助けをしたいと思っている。言語の力を超えることで、限界だと思われていたことを超える、より多くの人に浸透し、自分を自分の力で見出す感性の育成に努めていきたい。そしてまた、私は、メディアを通して構築された現代文化と人々を結ぶ仲介者として日本、そして世界の人々に貢献したい。

  5. 管理人回答:同じですね。

    管理人は前回の回答で、「奇をてらったり、利口に見せたりしようとせず、もっと普通に書いたらどうですか」と、指摘しました。それがまったく無視されている上、なぜ無視するのかも書かれていないので、ここで回答する必要も認めないのですが、他の読者のために、もう少し説明しましょう。

    まず、双子の特権という話がいったい何を意味しているのか、さっぱり理解できません(まさか、双子のうちのもう一人に成りすまして何かするという話でもないでしょう)。そのさっぱり理解できない話をもとに展開されるのですから、以後の話もまったく理解できません。「人とのコミュニケーションを円滑に行うことが出来ずにいたこと」の理由、原因がその特権だというのなら、それは特権でも何でもないでしょう。要するに、「奇をてらい、利口そうに見せようとして」書くから、こういう訳の判らない理屈を展開することになるのです。

    下記も同じです。
    >多くの授業の中で、日本人の描写が日本人ではなく、アジア人としての
    >広いアイデンティティで確立されてしまっていることに疑問を覚えた。
    ⇒単に、日本人が日本人としてではなく、他の中国人や韓国人などといっしょにアジア人として見られるということでしょう。アイデンティなどまったく関係ない話です。

    「奇をてらい、利口そうに見せようとして」書くから、自分で自分の述べている理屈がわからなくなり、主語と述語のネジレ、理由-結果といった論旨がデタラメになっているのです。

    普通の自分の言葉で、なるべくひろつひとつの文章を短くして、書いてみてください。

  6. 再度添削お願いいたします。
    書き直してみたので、再度添削お願いいたします。

    2年前、私は貴学部に合格した。しかし、コミュニケーション学を学びたいという一心で、メジャーが豊富なアメリカに渡ったのである。私は自分が一卵性双生児であるので、昔から人とは違うコミュニケーションの取り方をしていた。私にとって、“I” と “We” の違いは全くなく、個人で活動することもそうなかった。それからは、周囲の「双子」であるべき姿に飲み込まれ、自分の存在意義が見出せなくなった。所詮、双子の片方は人50%にしかならないのだと。そのようなことで、人とのコミュニケーションを円滑に行うことが出来ずにいた。この経験から、他者のコミュニケーションの仕方、各々の自己確立の方法に興味を持ったのだ。
    しかし、アメリカのコミュニケーション学は私の思い描いていたものとは全く違ったものであった。それは、マスメディアに関しての講義を中心とし、内面的なものにまでは至らないものが多かったのだ。様々な授業を通して、社会学の授業の一環で学んだトピックに興味持った。それは、現代文化を通しての人々のアイデンティティの確立についてだった。現代文化を通して考えると、どの時期にも「流行」といったものがある。人々のなかでは、その流行を追うことで彼らのアイデンティティが確立されているのである。今の時代は、その「流行」から逸脱してしまうと他者との違いに不安を覚え、自分の存在意義を失ってしまう人が多いという。また、その現代文化から自己の否定を促す内容を持ったものが多く、それが原因でまた自己の価値を見出せない人が多いという。
    この問題は世界の国のどこよりも日本に存在する問題であると考える。発展国の中で日本が一番の自殺率が多いのもこの自己の確立と深く関連していると思うのだ。
    アメリカの人々の多くは宗教というもので自己の確立をしている。一方、日本では多くの人に宗教観というものがなく、心のよりどころは最終的に自分に迫られてしまう。
    このトピックとの出会いが私にとって大きな転機となった。こうした、問題を克服するには、人間や様々な国の社会の在り方について問い直すことが必要になる。貴学部では、現代文化の在り方がいかに、人々のアイデンティティの形成に密接に絡み合っているかの本質を探っていきたい。アメリカで培った知識も生かし、特にメディアを通した現代音楽の在り方とアイデンティティの確立の関係性を研究していきたいと考えている。
    卒業後はアメリカと貴学で培った経験、知識、交流を通して、音楽や映画などの視覚的技術を使って幅広く、人々に個々のアイデンティティの確立の手助けをしたいと思っている。言語の力を超えることで限界だと思われていたことを超え、より多くの人に浸透し、自分を自分の力で見出す感性の育成に努めていきたい。そしてまた、私は、メディアを通して構築された現代文化と人々を結ぶ仲介者として日本、そして世界の人々に貢献したい。

  7. 管理人回答:メジャーですか?

    あまり変わりませんね。
    と言うより、管理人に言わせれば、あなたのコミュニケーションの取り方が変わっているのは、双子云々は関係なく、単に言葉の使い方がでたらめで、独善的=独りよがりなためです。
    メジャーというのは、ものさしのことですか?なぜメジャーなどという言い方をする必要が、あるいは効果があるのですか?

    >私にとって、“I” と “We” の違いは全くなく、個人で活動することもそうなかった。

    双子だからといって、「“I” と “We” の違いは全く」ないというのは、性格破綻か精神異常としか思えません。なぜ、双子だと「私」と「我々」の違いがないのか、さっぱり理解できません。
    もしかすると、Weというのは、あなたとあなたの双子の相手のことですか?そうならそう書かないと分かりませんし、もしそうだとしても、なぜ双子の相手と一体化してしまうのですか?どちらにしても、そういう話からは、精神的な異常あるいは病気を抱えているとしか思えません。
    要するに、最初の自分の選択が間違っていたということを認めずに、強引に、それらしい理屈を通そうとするから、こういうおかしな話になるのです。

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