近年、科学技術は、私たちが追いつけないほど、急激に進歩している。私は、科学技術が進歩しすぎることは良い事だとは思えない。
なぜなら、科学技術は、私たちの生活を便利で豊かにするのは確かであるが、一方で問題も数多く存在するからである。
携帯電話を例にして考える。携帯電話は、今の私たちにとっては遠く離れた相手とメールや電話で簡単に連絡を取ることができたり、調べたいことがあったら携帯電話ですぐに検索することができたりと、とても便利で生活になくてはならないものになっている。
しかし、携帯電話は私たちにとって良い事ばかりを与えているのではない。
まず、携帯電話は、次々と新しい機能が加えられていく。新しい機能なしでは、携帯電話が使い物にならず、壊れてもいないのに新しい機能がついた携帯電話がほしくなってすぐに買い換えてしまう、という問題がある。何度も何度も変えていたら、経済的にも良くないし、環境的にも良くない。
また、携帯電話を使った犯罪も増えている。携帯電話での犯罪による被害は、男女問わず、子供から老人まで、幅広く誰でも被害者になりうる。それに、詐欺や性犯罪などになってしまうと犯人が捕まりにくくい。
では、このような状況を防ぎ、私たちが科学技術とうまく付き合っていけるようにするためにはどうしたらよいだろうか。
私は、科学技術を実行するにあたって、科学者や技術者が科学技術に関して全く素人である私たち一般人に科学技術の進歩状況や実用にあたって起こりうる問題についてわかりやすく説明する必要があると思う。
そして、その説明を踏まえて、正しい知識を持った元で、私たち一般人は、科学技術を使う上での善悪を自らで見極めるべきであると思う。
「科学技術の進歩」についてです。
文章がかなり長いですが、添削お願いします。
管理人回答:投稿規定を守って再投稿してください。
タイトルの通りです。
また、メールアドレスは記入しないでください。
このブログのホームページ(トップページ)をよく読んでください。
科学技術の進歩
近年、科学技術は、私たちが追いつけないほど、急激に進歩している。私は、科学技術が進歩しすぎることは良い事だとは思えない。
なぜなら、科学技術は、私たちの生活を便利で豊かにするのは確かであるが、一方で問題も数多く存在するからである。
携帯電話を例にして考える。携帯電話は、今の私たちにとっては遠く離れた相手とメールや電話で簡単に連絡を取ることができたり、調べたいことがあったら携帯電話ですぐに検索することができたりと、とても便利で生活になくてはならないものになっている。
しかし、携帯電話は私たちにとって良い事ばかりを与えているのではない。
まず、携帯電話は、次々と新しい機能が加えられていく。新しい機能なしでは、携帯電話が使い物にならず、壊れてもいないのに新しい機能がついた携帯電話がほしくなってすぐに買い換えてしまう、という問題がある。何度も何度も変えていたら、経済的にも良くないし、環境的にも良くない。
また、携帯電話を使った犯罪も増えている。携帯電話での犯罪による被害は、男女問わず、子供から老人まで、幅広く誰でも被害者になりうる。それに、詐欺や性犯罪などになってしまうと犯人が捕まりにくくい。
では、このような状況を防ぎ、私たちが科学技術とうまく付き合っていけるようにするためにはどうしたらよいだろうか。
私は、科学技術を実行するにあたって、科学者や技術者が科学技術に関して全く素人である私たち一般人に科学技術の進歩状況や実用にあたって起こりうる問題についてわかりやすく説明する必要があると思う。
そして、その説明を踏まえて、正しい知識を持った元で、私たち一般人は、科学技術を使う上での善悪を自らで見極めるべきであると思う。
「科学技術の進歩」についてです。
文章がかなり長いですが、小論文の書き方は、これでいいのでしょうか。
きちんと小論文として文章が成り立っているのか不安です。添削お願いします。
管理人回答:トップページをよく読んでください。
タイトルの通りです。
管理人回答:管理人の後日追記。
再投稿がないので、管理人の勝手な感想を少し。
>小論文の書き方は、これでいいのでしょうか。
>きちんと小論文として文章が成り立っているのか不安です。
⇒小論文の「書き方」として、とくに目立った欠点はないのですが、小論文の論旨そのものが疑問です。言い換えると、論理的でないのです。ですから小論文として成り立っていないとも言えます。
投稿者は、「科学技術が進歩しすぎることは良い事だとは思えない。」つまり、科学技術の「進歩しすぎ」を問題にしています。しかし、その後に書いてあることは、科学技術の進歩の典型としての携帯電話について、一般人が正しい使い方を理解していないからいろいろな問題が起きている、だから、科学者や技術者が一般人に科学技術や起こりうる問題についてわかりやすく説明すべきだということだけです。要するに、「進歩しすぎ」が問題なのではなく、正しく理解し正しく使うことが必要だという論旨になっていて、冒頭の結論と合っていないのです。