大学メディア学部志望理由書 質問者/アスピリン

メディア学部で音響映像のコースを選択し
テレビ番組をつくることがしたいと提出するものです
量が多くなってしまったので添削、またおかしな点の指摘をお願いします
字数は制限がないのですが、1000~1200字くらいで収めたいと考えています

私がOOOOO文化情報学部を志望した理由は、将来テレビ局というメディアに拠点をおいて低コストでパフォーマンス性のある番組制作を行えるプロデューサーになりたい。そしてテレビ局での知識を深く学びたいという夢を確実に実現させるためです。
この職に就きたいと思ったきっかけは、私はテレビによって教わったこと例えば、珍しい出来事や新しい出来事、またはその知らせを伝える報道番組や心を慰め楽しみ笑い喜びを伝える娯楽番組などテレビによって見たり知ったり教わったり、その中でも特に印象的だったのがフジテレビで放送されている27時間テレビであり、そこにはテレビにおけるいわゆる表向きのタレントが作っていくのではなく、裏方の人間にも視点を向け、また地方の放送局とも協力し、放送局全体で番組を作っていくものがあり、そこに映し出されていた人の働く様子を見て私はひどく関心を覚えるとともに、この仕事に就きたいと願うようになりました。
現在の日本のテレビ局、例えば東京で見ることができる放送は、NTV、TBS、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京の計5局です。この5局は、毎日20時間もの広告放送を行っていて、その情報量は膨大であり、もしも5つのテレビセットの前で放送開始から終了まで、すべての番組を見ようとしたら、それはただの徒労でしか感じないし、まずそのようなことはしようとは思いません。つまり私たちはテレビを見る場合に、何かしらの選択を行わなければならないのです。そして民放キー局(東京でのテレビ局)は、放送開始時刻から終了時刻まで、切れ目なしに番組を出し続けることが普通です。多くの番組が、編成という意思決定の実現として放送されています。これを維持するためには、次々と新しい番組を、個別に、しかも連続的に生産し続けなければならないのです。なぜなら、テレビの活動がジャーナリズムという性格、つまり人間が生活している環境を監視し、その変化を把握し、環境の動きを指示する作用を持つものであり、そのため常に現在を映し出すことを求められているものだからです。したがって、テレビ放送には、さまざまな職種の人々が、それぞれの専門性をいかんなく発揮できる柔軟性のある集団を必要とするのであると考えます。テレビ放送の創造性を維持するためには、さまざまな人々によって、あらゆるテクノロジーを駆使し、環境の監視機能を発揮して、鋭く「現在」を追求することが重要です。その創造性の実現のために、番組制作の果たすべき役割はとても大きな意義があります。放送に関わるあらゆる問題間の調整をはかり、放送局の意思決定の具現化である番組の放送を、最適なものとするために機能しなければならないのが番組作成であると思います。つまり、番組制作を行う上で私たちに必要なのは民放キー局の編成の現状を分析し、その中で生じるさまざまな問題や矛盾の構造的要因を浮彫りにし、考察を加えることによって、来るべきニューメディア時代の民放キー局が、その創造性を発揮するために歩むべき道を探ろうとしてゆくのではないかと考えます。その点が番組製作の重点であり、これらの知識を貴学で学びたいと考えています。そして是非3年次では“番組製作から学ぶメディアと異文化理解”のゼミーナールを選択して将来の自分自身テレビ局に勤めたとき何をすべきかまた何ができるかという意義を模索していきたいです。
番組制作のうえでもっとも必要なことはテレビの受け手つまり視聴者に見てもらえることであり、それを見ることによって何かを感じとってもらいまた見たいと思わせることだと思います。そうした番組を作っていくうえで、上にも書きましたが製作は集団で作っていくものであり、また私は高校時代、軽音楽部に所属して、仲間とともにひとつの目標に向って協力することの価値を、身をもってしりました。この協力し何かを作っていくものは番組作成をするうえで活かせるものだと考えています。

“大学メディア学部志望理由書 質問者/アスピリン” への1件の返信

  1. 管理人回答:知識をひけらかすのは、おやめなさい。

    おかしな点は多いですね。指摘すべき点は多いですが、文字数が多いのを何とかしたいということですので、それに絞って、2点、指摘します。
    1■くだらない業界用語をちりばめて自分の知識をひけらかすのは、おやめなさい。無駄です。何の効果も発揮しないばかりか、読むものの反感を買います。

    >将来テレビ局というメディアに拠点をおいて低コストでパフォーマンス性のある番組制作を行えるプロデューサーになりたい。

    「テレビ局というメディア」--「テレビ局」で何の問題もありません。あなた自身が「テレビ局での知識を」と書いているではないですか。
    ちなみに、この部分を含むワンセンテンスは、主語述語の関係が乱れています。「私がOOOOO文化情報学部を志望した理由は、」が主語部分なのですから、最後は「なりたい。」で終わらず、「なりたいからです。」とか「なることをめざしているからです。」とかでしょう。「。」の区切りを無視して、次のセンテンスの最後まで無理に続けて読んで初めて、主語に対する述語の形になっています。ですから、書くとするなら次のようなものでしょう。

    私がOOOOO文化情報学部を志望した理由は、将来テレビ局の番組制作プロデューサーになるという夢を実現するため、テレビ番組制作やテレビ局の仕組みなどに関する必要な知識を学びたいからです。

    「低コストでパフォーマンス性のある番組制作」--テレビの仕事をしたいという若者が、いきなりコストの問題を持ち出す不自然さは見逃すとしても、冒頭にこんな話をもってくるのだから、その点について何か主張を持っているのかと思うと、いくら読んでもそんな話はでてきません。何のために、わざわざ最初にこんな話をもってくるのか、要するに「業界人」らしくふるまいたいだけなのだろうとしか思えません。

    >テレビセット
    テレビと何が違うのですか?テレビと言わずに、テレビセットと言うことに、どんな意味があるのですか?なぜ、テレビジョンセットと言わないのですか?

    >多くの番組が、編成という意思決定の実現として放送されています。
    この一文に、どういう意味があるのですか?要するに、テレビは膨大な量の番組、なるべく質の良い番組を制作し続けなければならない、それにはいろいろな努力が必要だというだけの話でしょう。意思決定などという言葉を持ち出しても、何の意味もないし、少なくとも効果は、ありません。
    ついでに言うと、あなたは「番組制作」という言葉をどういう意味で使っていますか?
    文字通り、番組を制作する行為を指す言葉として使う場合と、「番組制作」を担当する部門という意味の略語として使う場合、さらに「編成」の意味も込めて使っている場合もあるようですね。自分で理解して使い分けていますか?

    はっきり言って、業界用語やその雰囲気をちりばめて、格好良くみせようとしているだけで、非常に内容空疎な文章です。

    2■ワンセンテンスが長過ぎます。読みづらい、というより、長すぎるために、あなた自身、自分の書く文章を制御できず、自分が何を言っているのか分からなくなっています。その結果、何の意味もない言葉や文章を垂れ流すことになっています。

    以上の2点を整理し、不要な部分を削除すれば、かなり短縮できます。

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