現在大学病院の看護師3年目です。来月大学の看護学部の編入試験を受けますが、その志望理由書です。添削をよろしくお願いします。
私は、今以上に専門的技術と知識を深め、国際的視野をもった看護師になりたい。それが広島大学医学部保健学科を志望する理由だ。
高校卒業後看護専門学校に進学し、看護師免許を取得して現在は大学病院に勤務している。看護は、その人の身体的回復だけに留まらず、その人の価値観や家庭、地域環境などを考慮しながら生活をサポートするなど人間全般に関っていく仕事である。沢山の患者や医療従事者との出会いの中で、看護への責任感や充実感を経験できた。現在、看護師になって3年半が経過し、院内研修や事例研究を経てもっと深くもっと専門的にこの仕事を突き詰めることで、患者の内面としっかり向き合えるようになりたいと思った。そのためには現場を離れて大学で学ぶ必要があると考えた。
看護専門学校では病院実習が中心であり、学生時代の大半を実習に費やした。その実習を通して「看護の実践」を中心に学んだが、一般教養や理論的・科学的根拠に基づいて深く学習する機会は少なかった。就職後は理論や根拠に戻ってじっくり考える余裕を持てずにいた。大学ではその「実践」がどのような理論的・科学的根拠に基づいているかまで深く学ぶ事が出来ると考えた。数多くの大学の中でも、「人間と健康について科学的に思考し理解できる能力を養い、豊かな人間性と倫理観に支えられ、各専門分野の基本原理を基盤とした知識と技術を備えた実践者育成をめざしています。」という貴校保健学科の目標に強く魅力を感じた。また、研究会・学会・国際シンポジウムを開催し、海外の大学との連携により、国際的視野を養い、海外での活躍や研究を支援している教育体制に高い関心を持った。そして霞キャンパスには、図書館や資料館が併設されており、勉学に恵まれた環境にある。
以上が貴校医学部保健学科を志望する理由である。
矛盾している点や、削除したほうがいい文章、欠点があれば教えてください。
うまく書けなくて本当に困っています…
管理人回答:矛盾点を指摘しておきましょう。
>そのためには現場を離れて大学で学ぶ必要があると考えた。
この一文が、決定的に「浮いて」います。論旨が一貫しません。全体で、言いたいことは理解できますが、この一文は間違っています。
「患者の内面としっかり向き合えるようになりたい」のなら、現場で患者と向き合うことが最大・最良の方法でしょう。少なくとも、「現場を離れて学ぶ必要がある」というのは、筋の通らない、おかしな理屈です。
解決策の一例を示しておきます。あくまで一例です。
「現在、看護師になって3年半が経過し、
院内研修や事例研究を経て様々な看護体験を通して自分の未熟さを実感し、もっと深くもっと専門的にこの仕事を突き詰めることで、患者の内面としっかり向き合えるようになりたいと思った。そのためには現場を離れて大学で学ぶ必要があるこれまでの体験を踏まえて、もう一度理論を学び直すことも有意義であると考えた。看護専門学校では病院実習が中心であり、学生時代の大半を実習に費やした。その実習を通して「看護の実践」を中心に学んだが、」
さらにこれは余計なことですが。
>数多くの大学の中でも、「人間と健康について科学的に思考し理解できる能力を養い、豊かな人間性と倫理観に支えられ、各専門分野の基本原理を基盤とした知識と技術を備えた実践者育成をめざしています。」という貴校保健学科の目標に強く魅力を感じた。
長々と鍵カッコで引用していますが、そういう抽象的で形式的、ある意味で大学の宣伝文句に過ぎないような記述を引いて、大学を褒めてみても何の意味もありません。こんな文章は、おそらくどこかの三文コピーライターか、大学の職員あたりが書き散らしたものです。看護教育をする大学として、当たり前の話ばかりでしょう。三年半の現場体験をしながら、こういう抽象的で形式的な話を評価しますということ自体、あなたの経験の頼りなさをさらけ出す結果になります。
こういう当該大学の選択理由をどうしても書きたいなら、具体的に何が気に入っているのか、もっと具体的に書くべきです。そこまでわからないというのなら、それはあなたの研究不足でしょう。
気に入った部分や制度、教授陣などを知らないのなら、こんな余計なことは書く必要はありません。
少し修正しました。もう一度添削お願いします
ご指摘ありがとうございます。訂正したので、もう一度添削お願いします。
私は、今以上に専門的技術と知識を深め、国際的視野をもった看護師になりたい。それが○○大学医学部保健学科を志望する理由だ。
高校卒業後看護専門学校に進学し、看護師免許を取得して現在は大学病院に勤務している。看護は、その人の身体的回復だけに留まらず、その人の価値観や家庭、地域環境などを考慮しながら生活をサポートするなど人間全般に関っていく仕事である。沢山の患者や医療従事者との出会いの中で、看護への責任感や充実感を経験できた。現在、看護師になって3年半が経過し、様々な看護体験を通して自分の未熟さを実感し、もっと深くもっと専門的にこの仕事を突き詰めることで、患者の内面としっかり向き合えるようになりたいと思った。そのためにはこれまでの体験を踏まえて、もう一度理論を学び直すことも有意義であると考えた。
看護専門学校では病院実習が中心であり、学生時代の大半を実習に費やした。その実習を通して「看護の実践」を中心に学んだが、一般教養や理論的・科学的根拠に基づいて深く学習する機会は少なかった。就職後は理論や根拠に戻ってじっくり考える余裕を持てず、自己の看護の質を高めるためにも根拠や理論を学び直したいと思うようになった。大学では「実践」がどのような理論的・科学的根拠に基づいているかまで深く学ぶ事が出来ると考えた。また、研究会・学会・国際シンポジウムを開催し、海外の大学との連携により、国際的視野を養い、海外での活躍や研究を支援している教育体制に高い関心を持った。そして○キャンパスには、図書館や資料館が併設されており、勉学に恵まれた環境にある。貴校入学後は、看護学の深い知識を身につけ、科学的思考能力を養い看護の質を高めたい。そしてそれらが、私の人間としての成長へと繋がると考える。
以上が貴校医学部保健学科を志望する理由である。
管理人回答:前置き、結びは不要です。
志望理由を書けといわれて書く文章でしょう。「それが理由だ」とか「以上が理由である」とか、わざわざ書かなくても判ります。
志望理由執筆にあたって、最初に結論を書けとか、最後にまとめを書けとかいう指導はあるようですが、それは本論部分でまっとうな、つまり論旨が明確な文章を書けない、中学生や高校生向けの指導です。
この文章のレベルであれば、そんな前置きも、結びも要りません。管理人も、そんな程度の助言をした覚えはありません。
結びは完璧に無駄、不要です。前置きに関していえば、「今以上に専門的技術と知識を深め」は当たり前の話で、これは何も言っていないのに等しいものです。その詳細は本論で述べていますから、不要です。「国際的視野をもった看護師になりたい」は、本論で、なぜそうなりたいのか、そうなることが看護にどう役立つのかなど、詳細な説明がありません。したがって、前置きでこんなことを書くだけ、やはり無駄です。
本論部分の表現に一部、論旨が行きつ戻りつしている部分もあり、こなれない表現もあります。添削の一例を示します。全部、完璧に添削するものではありません。
また、国際的視野ウンヌンについては関知しません。
私は、高校卒業後看護専門学校に進学し、看護師免許を取得して現在は大学病院に勤務している。看護は、その人の身体的回復だけに留まらず、その人の価値観や家庭、地域環境などを考慮しながら生活をサポートするなど人間全般に関っていく仕事である。現在、看護師になって3年半が経過し、沢山の患者や医療従事者との出会いの中で、看護への責任感や充実感を経験できたが、その一方で
。現在、看護師になって3年半が経過し、様々な看護体験を通して自分の未熟さをも実感し、もっと深くもっと専門的にこの仕事を突き詰めることで、患者の内面としっかり向き合えるようになりたいと思った。そのためにはこれまでの体験を踏まえて、もう一度理論を学び直すことも有意義であると考えた。看護専門学校では病院実習が中心であり、学生時代の大半を実習に費やした。その実習を通して「看護の実践」を中心に学んだが、一般教養や理論的・科学的根拠に基づいて深く学習する機会は少なかった。就職後は日常業務に追われ、理論や根拠に戻ってじっくり考える余裕を持てず、自己の看護の質を高めるためにも根拠や理論を学び直したいと思うようになった。大学では「実践」がどのような理論的・科学的根拠に基づいているかまで深く学ぶ事が出来るはずだと考えた。また、貴学では研究会・学会・国際シンポジウム
をの開催やし、海外の大学との連携により、国際的視野を養い、海外での活躍や研究を支援していする教育体制があることに高い関心を持った。そして○キャンパスには、図書館や資料館が併設されており、勉学に恵まれた環境にある。貴校入学後は、看護学の深い知識を身につけ、科学的思考能力を養い看護の質を高めたい。そしてそれらが、私の人間としての成長へと繋がると考え、志望した次第である。