私は学生時代に部活動を通じ、努力・忍耐を培ってきました。忍耐力があるだけでなく、困難がある中で試行錯誤し、解決策を見出していくことが好きで、やりがいを感じます。昨年度より講師をさせていただいている中で、重度の障害をもつ児童・生徒に対し、どのように指導したらよいのか悩むこともありました。しかし、どのようにすれば理解しやすいか、充実した授業になるのかと工夫し、児童・生徒の表情が生き生きとしたものになったときは、本当にうれしく思いました。関わり始めたころは、何をしたらよいのかと、自分の無力さを感じましたが、その体験があったからこそ、考えることの楽しさを今まで以上に感じることができるようになったと感じています。今後、教師生活の中で、どんな困難があっても、乗り越えていくことを喜びにかえて、立ち向かっていく、粘り強い教師になります。
また、人と違うということを身をもって知っているので、人と違うということで悩んでいる児童・生徒の気持ちをよく理解することができます。生まれつき髪が茶色く、そのことで偏見を持たれたり、教師から指導されることもありました。違いを嫌だと思ったこともありましたが、現在は違いを個性だと思える強い気持ちがあります。それは、自分の行動で信頼を築き、偏見を取り払い、教師からも理解してもらった経験があるからです。教師として、違いを認め合う社会を築いていかなければいけませんが、まだまだ多いものが一般的と捉えられる世の中です。その中で、どのように自分らしさを持って生きていくのか、自分の経験を通じて、悩んでいる児童・生徒の心に寄り添って指導に当たっていきます。
もっと長所・短所を織り交ぜた内容にした方がいいでしょうか?
忍耐力
共感的理解ができる
という他に、
・人の意見をしっかり聞きくことができる
・謙虚である
というようなことも考えています。
管理人回答:材料が足りないということはないでしょう。
>もっと長所・短所を織り交ぜた内容にした方がいいでしょうか?
「もっと」というのは、どういう意味でしょうか。「織り交ぜた内容」という言葉があるので、余計に判りません。あとの
>・人の意見をしっかり聞きくことができる
>・謙虚である
というのと考え合わせると、もっと長所の数を増やしたほうがいいか?というお尋ねですか?もしそうなら、そんなに要りません。
「もっと短所も」入れたほうがいいのかというお尋ねなら、どこにも短所など書いていないようですから、「もっと」というのが分かりません。
単に、短所も入れたほうが良いかということなら、その入れようと考えている短所の内容によります。
余計なことですが、そういうことを考えているより、もう少し具体的に書いたほうがいいですね。とくに前半は、具体性が不足しています。
「学生時代に部活動を通じ、努力・忍耐を培ってきました」ウンヌンとありますが、どんな部活動なのかさえ、不明ですし、その部活動を通じて、どう忍耐を養ったのかも書かれていません。
講師時代の話も、「どのようにすれば理解しやすいか、充実した授業になるのかと工夫し、」ということですが、どんな工夫をしたのか、どんなふうに考え悩んだのか、具体的なことが何も書かれていません。
これでは体裁の良い理想論で、説得力はありませんね。