通信制大学志願理由書 質問者/ちぁき

社会人として、通信課程のある大学に入学する際の志願理由書です。

1、文法や言葉の言い回しに間違った使い方がないか。
2、抽象的でわかりにくい表現はないか。
3,読みやすく(具体性があり)まとまった文章になっているか。
を中心に、その他お気づきの点があれば是非ご指導お願いします。

◎質問者の性別/女
◎質問者の年齢・学年/24歳 小学校の常勤講師
◎文章の用途/通信課程の大学入学への志望理由書
◎文章の提出先(受験する大学、会社など)/受験する大学 食物学科

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私は、貴大学の通信教育課程「食物学科(資格コース)」を、以下の理由により志願する。
第一に、中学・高校の家庭科教員免許の取得を希望しているためである。私は、現在、福井県で常勤講師として働いている。卒業した大学では、小学校と幼稚園教員の免許状のみを取得して卒業した。それは、大学在学時は幼児教育と小学校教育とが連携することに、一番関心があったためである。しかし、講師として福井県の小学校教育に関わる中で、実際に現場で働く先生方は、必ず中学(高校)の教員免許をもち、児童の教育を行っていることを知った。それは、教師が一つの教科に関する専門的な知識をもち、義務教育間の学習に見通しをもって指導することで、児童の学力向上につながるという県の指針があるためだ。私も、その指針に大きく賛同できる。特に、「家庭科」という教科においては、小学校から中学校への見通しをもった学習指導が不可欠であると考える。それは、義務教育の中で、「家庭の一員としての役割」と「自らが家庭をもつこと」を一貫して学び、人としてより良く生きるために大切な教科であるからだ。そういった大切な教科を専門教科として学び、子ども達の教育に尽力したいと考えている。
第二に、「食物学科」を選んだ理由は、「衣食住」という広い領域の中で、特に関心をもっているのが「食」の分野であるからだ。「食」は、人間の根本的な欲求の中で、最も下位層に存在する欲求である。安全に暮らすための「住」や「衣」よりも、まずは生理的欲求である「食」が満たされることが第一である。近年、食生活は変貌し、「飢餓」などの世界的問題が多く生じている。「食」が豊かな日本においても、「食の安全性」や「生活習慣病の予防」など、様々な問題が多く存在し、「食育」という言葉が社会に広まっている。福井県では、生活習慣の中で特に「早寝・早起き・朝ご飯」を強化して指導している。様々な子ども達を指導する中で、強く感じたことは、「朝ご飯」をしっかりと食べ、バランスの良い食事を心掛けている家庭の児童は、朝から元気に活動し、集中して学習に取り組み、生き生きと学校生活を送っているということだ。「食」の大切さは、「家庭科」を学ぶ高学年や中・高生だけでなく、他学年の児童や保護者にとっても幅広く指導・周知するべき事柄であると感じた。そのために、貴大学の食物学科に入学し、「食」の重要性と専門的知識を学び、学校教育の中で「食育」として教え、「食」を生活や人生の中に生かすことのできる子ども達を育てられる教員になりたい。
第三に、家庭科教員免許を取得できる通信課程のある大学は、貴大学のみであった。このことは、社会人である私にとって、最も重要である。
入学後は、貴大学の名に恥じないよう精進することを約束し、以上のことを、志願理由とする。

“通信制大学志願理由書 質問者/ちぁき” への3件の返信

  1. 管理人回答:具体性が足りません。

    >1、文法や言葉の言い回しに間違った使い方がないか。

    これについては、省略させていただきます。

    >2、抽象的でわかりにくい表現はないか。
    >3,読みやすく(具体性があり)まとまった文章になっているか。

    同じことですので、まとめて回答します。

    まず、現に小学校で講師として勤務しているというのに、その実体験に基づく話がほとんどありません。多くが観念論になっています。わずかに、朝食をしっかり摂ってくる子は元気という話がそれらしいのですが、これとても、どこにでも書かれている理想論に過ぎません。

    そもそも、福井県教委(ですか?)の方針に賛同するというのなら、「教師が一つの教科に関する専門的な知識をもち、義務教育間の学習に見通しをもって指導することで、児童の学力向上につながる」ということを、実体験として感じていなければならないでしょう。それがありません。今の文章では、周囲の先生は皆、専門教科の資格を持っているから自分も、というふうにしか読めません。

    理由のまとめ方と言うか、展開の仕方も判りにくいです。
    第一に、専門教科を持つべきだという県教委の方針に共感して、自分もそれを持ちたいから。第二に、ではその専門教科に家庭科を選ぶのはなぜかという理由。第三に、さらに家庭科の中でも食物を選ぶのはなぜかという理由。そういう展開が自然で、判りやすいでしょう。
    現状では、「中学・高校の家庭科教員免許の取得を希望」、「食物学科を選んだ理由」が同列、同格に扱われています。

    また、家庭科を選ぶ理由が薄弱です。
    >特に、「家庭科」という教科においては、小学校から中学校への見通しをもった学習指導が不可欠であると考える。
    と、唐突に結論だけがあります。「それは、義務教育の中で~」というのは、単に家庭科教育の位置づけについての、文部科学省あたりの方針をなぞっているだけでしょう。

    細かなことですが、判りにくい点をひとつだけ。
    >私は、現在、福井県で常勤講師として働いている。
    ここで、はっきり「福井県内の小学校で」と述べないと、以後の話がすっと理解できません。また、大学在学時は幼児教育と小学校教育とが連携することに、一番関心があった云々などという、余計な話は要りません。そんなことに文字数を費やすくらいなら、もっと具体的に書くことに使うべきでしょう。

  2. 再添削をお願いいたします。

    1年、間が空いてしまいましたが、
    再度、同じ大学への志願動機の添削をお願いいたします。

    以上に述べていただいたとおり、できるだけ、自分の体験を具体的に
    盛り込むよう努めました。

    一つだけ、変更点があります。
    希望学科が、食物→生活芸術学科となっています。

    前回と同じく、
    具体的で読みやすい文章になっているか
    という点について、
    添削をお願いいたします。

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    私は、貴大学の通信教育課程「生活芸術学科(資格コース)」を、以下の理由により志願する。
    第一に、中学・高校の家庭科教員免許の取得を希望しているためである。私は、現在、福井県で常勤講師として働いている。福井県教育委員会の指針の一つとして、教師が一つの教科に関する専門的な知識をもち、義務教育間の学習に見通しをもって指導することで、児童の学力向上につながるというものがある。私も、その指針に共感し、家庭科教員免許の取得を希望している。
     第二の理由は、家庭科の実習を、ただ楽しいだけで終わらせたくないという思いがあるからである。ややもすれば、ただ「楽しい」だけの学習に陥るのが家庭科である。家庭科の洗濯実習の後に、生活で役に立ったかと聞いたところ、「楽しかったけれど、洗濯機があるから必要ないと思う」と答えられ残念だった経験がある。これは、実習を行うだけで終わり、人が快適に暮らす上での必要性を専門的知識に基づいて教えられなかったことが原因だと考えている。しかし、これまで、私が家庭科の授業で学んできたことは、社会人になった今でも生活に役立つことが多い。ボタンのつけ方、お茶の入れ方など、一つ一つが生活の中で役立つスキルになっている。それは、なぜそのスキルが必要なのかという実感を伴った学習の中で身についてきた力であるからだと思う。だからこそ、専門的知識を身につけ、児童が社会へ出たときに、「家庭科で習っていて良かった」と思えるような授業を行いたいと感じている。
     第三に、「生活芸術学科」を選んだ理由は、人にとって、もっとも身近な被服学と住居学を学べるからである。現代の子どもたちは、大変恵まれているにも関わらず、衣服や住居に無関心である。服を何日も洗濯していない、爪が伸びている、髪の毛が乱れている、朝はパンしか食べてこない。そういった児童は本当に多い。その現状に対して、私は、児童や保護者に対して、「爪を切りなさい。朝御飯をちゃんと食べなさい。」と指導することしかできない。それでは、言われたときは直っても、習慣を正すことはできない。快適な暮らしとは何か、清潔に過ごすとはどんなことか、なぜ必要なのか。そういったことを、家庭科という学習の中で、しっかりと教えていきたい。今後、社会の中で一人の人間として、社会人として「家庭」をもつ子どもたちに対して、充実した暮らし、生き方の基本をしっかりと教えられる教師でありたいと思う。そのためにも、家庭科の中学・高校教員免許の取得を希望する。
     入学後は、貴大学の名に恥じないよう精進することを約束し、以上のことを、志願理由とする。

  3. 管理人回答:あまり変わりませんね。

    >具体的で読みやすい文章になっているか
    という点について、 添削をお願いいたします。
    ⇒もっとも重要な第一の点について、具体性がありません。そう指摘したはずですが、何も変わっていません。

    >私も、その指針に共感し、家庭科教員免許の取得を希望している。
    ⇒そう共感するのなら、それは、どういう具体的体験からなのか、それがなくては単なる机上の空論というか、志望動機のための「作文」です。「作文」というのは、もちろん悪い意味で、です。昨年から数えても少なくとも1年以上、講師として働いていて、それを実感する体験が何もない、というのではお話になりません。単に県教委の方針に添いたいというだけです。もちろん、実際、その通りで、ともかく正規職員になるためには県教委の方針に添うことだけを考えている、というのなら、それで結構ですが。
    第二の点についても同じです。

    >それは、なぜそのスキルが必要なのかという実感を伴った学習の中で身についてきた力であるからだと思う。
    ⇒「なぜそのスキルが必要なのかという実感を伴った学習」とは、具体的にどんな学習ですか?ご自分の経験なのですから、その具体例もなしに、そうなのだと主張してもウソ臭いだけです。

    >その現状に対して、私は、児童や保護者に対して、「爪を切りなさい。朝御飯をちゃんと食べなさい。」と指導することしかできない。それでは、言われたときは直っても、習慣を正すことはできない。

    ⇒教員の世界というか、小学校のことはよく知りませんが、通常、そういう指導をしたり、保護者にそういうことを伝えるのは担任教員ではないのですか?少なくとも生活指導を受け持つ教員の仕事でしょう。あなたは常勤講師として、担任を持っているか、そういう役割を担っているのですか?実態がどういうことか不明ですが、あまり説得力のある話とは感じられません。単に、管理人が知らないだけならいいのですが。

    余計なことですが。
    最初と最後の一文は要りません。高校生の大学志願動機でもあるまいし、社会人が志願理由を書けと言われて書くのでしょう。
    >私は、貴大学の通信教育課程「生活芸術学科(資格コース)」を、以下の理由により志願する。第一に、
    ⇒私が、貴学通信教育課程「生活芸術学科(資格コース)」を志願するのは、第一に、
    で十分です。最後の一文などまったく不要です。

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