教員志望動機書 質問者/toga

教員採用のための教員志望動機書です。
具体的にどこかの学校に提出するためのものではなく、
協会に保管して私学が閲覧する、汎用性のあるものになります。
科目については問われていないので、特に触れていません。

◎質問者(文章執筆者)の性別/女
◎質問者(文章執筆者)の年齢・学年/大学4年
◎文章の用途(「入試用の志望動機」など)/教員志望動機書
◎文章の提出先(受験する大学、会社など)/
私学協会で保管し、各私学に閲覧してもらうための文書

◎チェックしてほしいところ/
※ワード形式・A4で1枚以内という縛りがある文章です。
・文章の流れにおかしなところはないか(読みやすいか、具体性があるか等)
・作文的(文法の乱れ、改行のタイミングなど)におかしくないか
・序論(最初の一行)が寂しい感じもするのだが、膨らませた方が良いか
(他と最後を結構膨らませてるので悩んでます)
・三つ目の例のエピソードは弱いでしょうか。そもそもエピソードはこんなに要らないでしょうか。
・他、気付いたところあればお願いします。
よろしくお願いします。
--------------------------
私が教員を志望する理由は、三つある。
一つ目は、人と関わる仕事がしたいということである。現代では、人と人の繋がりが薄くなってきてしまい、相手と顔を合わせずに出来る仕事も多くなった。しかし私は、社会をつくる人間の一人として、人との直接的な関わりを持ち続けていきたいと考えている。
人と深く関わる仕事は、時に臨機応変さを求められる大変な仕事である。しかしそんな困難の中で、相手の笑顔や言葉など、色々なフィードバックを受けることで、やりがいを得られることもある。私は飲食店で勤務する上で、お客から笑顔や感謝の言葉を受けることが多くあった。そういった反応は、私にとって大きな励みになった。もちろん、お客から厳しい言葉をもらうこともある。しかしそういった言葉からも、多くのことを学んだのである。これは教師として子どもと関わる際にも同じことが言える。子どもの反応は、私にやりがいを与えるだけではなく、時には学ばせてくれることもあるのである。
二つ目は、人を育てる仕事がしたいということである。人を育てるということに正解はなく、教育は常に手探りである。しかしだからこそ、自分の判断が子どもにとって良い結果を導いた時、大きなやりがいを感じることができるのである。
子どもの成長を見ることができるのは、教師としての楽しみの一つである。教師のやり方一つで、子どもの進む方向は大きく変わる。私は以前家庭教師として、学校を休みがちだった生徒を教えたことがある。私はその子に、学校の授業の大切さを粘り強く伝えた。また、授業を休んだ単元を丁寧に教え直すことで、授業への不安を改善させた。するとその子の出席率は格段に向上し、母親からも感謝の言葉を頂いた。もし教師が手を抜けば、子どもは悪い方向へ行ってしまうが、しかし教師が心から子どもに向き合えば、子どもはそれを受け止めてくれるのである。私はそのことに、大きなやりがいを感じた。
三つ目は、色々なことを学びながら成長できる教師という職に、魅力を感じているからである。前述したように、教師は、子どもの反応からも多くのことを学ぶことができる。それは、教師であることで得られる大きな財産の一つである。
教師は学び続けることが必要とされる職業である。しかし、一人で学んでいるだけでは気付けないことも多くある。子どもは、その独特の感性によって、それを私達に気付かせてくれる。それは教科に関することだけでなく、時には人としても大事なものを気付かせてくれることもある。私が前に特別支援学校へ実習に行った時、子どもとオセロをする機会があった。私は手加減をして、生徒がぎりぎりで勝つように仕向けようとした。しかし気付いたら生徒の大勝だったのである。そこで私が気付いたのは、子どもを侮ってはいけない、ということである。これは子どもと触れ合わないと気付けなかっただろう。そうやって一つ気付けた時、いかにそれが貴重な経験だったかを感じた。
このように私は、教師というものに「学べること」と「やりがい」の存在を感じている。だから私は教師になって、多くのことを学びながら、いきいきと働いていきたいと考えている。以上が私の教師の志望理由である。

“教員志望動機書 質問者/toga” への2件の返信

  1. 管理人回答:うそ臭いです。言葉は悪いですが。

    >他、気付いたところあればお願いします。

    このお尋ね以前にいろいろと質問事項をあげておいでですが、そういうことより、全体が非常に作為的で、観念論的で、言葉は悪いですが、ひらたく言えば、うそ臭いです。あなたが、「私学協会で保管し、各私学に閲覧してもらうための文書」だとおっしゃるので、こういうことを指摘しているのではありません。
    個々の教員志願者の志望動機を見ても、こういうパターンはよく見ます。要するに、教員という仕事への理解が、教科書で読んだこと以上に深まっていないのです。
    家庭教師の話も、よく聞くような内容で、しかも具体性が不足です。具体性不足は全体に言えることで、この点も、文章全体を観念論的な印象にしている理由です。志願者個人の体験に根ざす記述だということが、感じ取れないのです。

    たとえば、
    >私は飲食店で勤務する上で、お客から笑顔や感謝の言葉を受けることが
    >多くあった。そういった反応は、私にとって大きな励みになった。もちろん、
    >お客から厳しい言葉をもらうこともある。しかしそういった言葉からも、多く
    >のことを学んだのである。

    いつ、どんな飲食店のどんな仕事で、どんな経緯の中で、お客に関して、どんなことがあって、どんな言葉を受けたのか、まるで具体性がありません。誰でも頭の中でヒネリ出せる話です。

    >ワード形式・A4で1枚以内という縛りがある文章です。

    そういう縛りと文字数はあまり関係しませんので無意味です。文字のサイズや字間・行間の設定で、文字数はどうにでも変わります。

    >序論(最初の一行)が寂しい感じもするのだが、膨らませた方が良いか

    そんな必要はありませんし、また、こんな冒頭の一行が必要だとも思いません。

    >三つ目の例のエピソードは弱いでしょうか。そもそもエピソードはこんなに要らないでしょうか。

    そもそもオセロというゲーム自体、どちらかの大勝になりやすいものです。子供の発想の新鮮さなどを言うエピソードとして、気の効いたものとも言えません。要するに、頭の中で無理にひねり出したか、他の経験を無理にくっつけたか、ということです。

    余計なことを言うようですが、そもそもこうした文章に見本を示すという行為自体、馬鹿げた話だと管理人は思います。

質問・添削依頼(コメント)

日本語が含まれない投稿は無視されます。(スパム対策)