教採・課題論文 質問者/まー

教員採用のための課題論作文です。
〔実績を教育にどのように活かしていくのかを教育ビジョンに沿って1200字以内で述べよ〕というテーマです。私は音楽の実績で応募したいと考えております。

◎質問者(文章執筆者)の性別/女
◎質問者(文章執筆者)の年齢・学年/大学4年
◎文章の用途(「入試用の志望動機」など)/教採の提出書類
◎文章の提出先(受験する大学、会社など)/
横浜市教育委員会
◎チェックしてほしいところ/
・文のつくり、流れにおかしい部分はないか。
・もっと具体例を入れるべきか。
他、気付いたところあればお願いします。

educationと聞いて思い浮かぶ言葉は何か、私の答えはgrowである。
春休みに行ったカナダの大学での講義で、このような問いをされた時、教育とは何だろうと改めて考えた。私は、充実した生活やよりよい人生を送るため人として成長すること、それが教育であると考える。それが今、学びという認識が変わってきてしまっているように感じるのだ。
自らが積極的に問題意識を持ち、解決しようとする主体的思考を持つことは重要なことである。横浜教育ビジョン「知」でも提示されているように、本来学ぶことは楽しくうれしいものだ。しかし今や「学び」は点数化され、さらにはそれが評価の基準となっている。こんなことでは、学ぶ楽しさは見いだせないだろう。
ここで、「学び」について横浜教育ビジョンに沿って考えていきたい。
保護者、教員、市民などを対象に行った横浜市教育意識調査(H20.3)で、学校教育の中で重要なことは「徳」豊かな情操と道徳心という回答が多く出た。これは、多くの人が情操教育を重要視しており、より充実させていく必要があることを意味する。
豊かな心を育むものとして効果的なものはまず音楽があげられる。老若男女人間の様々な心に触れられるだけではなく、さらには国境をも越える音楽は、言葉さえも通じない異国の人々とも想いを共有することができる。異文化交流は他国を理解するのと同時に自国の気づきともなり、のちにそれはコミュニケーションスキルの向上や自己を知ることへとつながっていく。今後さらにグローバル化が進み、多文化共生が求められることを考えると、「開」国際社会に寄与する開かれた心、「徳」豊かな情操と道徳心はより重要視されることになるだろう。
さて、冒頭でも述べたように「教育」とは、人として成長すること、すなわち人格の形成を目的としている。学校は子どもたちにとって初めての集団行動となり、将来社会に出て生きていくための力「社会性・協調性」の育成をする役目も担っている。学校での幅広い異年齢との交流を通じ、相手を思いやる気持ちや自分らしくいれること「自分の役割」を理解し認識すること。さらにさまざまな価値観に触れて、多様な考え方があるのだということを知っていくということが「公」公共心と社会参画意識を育て、「自らが考え、主体的になって行動する社会性」を身につけることへとつながっていく。
以上で述べたように、学校は多種多様な学びの提供をする場であり、学校生活を通じて身につく力はすべてが紙一重につながっているものである。ここで挙げなかった項目に関しても実はどこかでつながっているのだ。
今回応募した実績を、直接教育へ生かしていくことはもちろん大切なことであるが、この活動を通して学んだこと、上記で述べたような【人として大切なこと】を、子どもたちに伝えていけたらと考えている。

“教採・課題論文 質問者/まー” への1件の返信

  1. 管理人回答:論理がデタラメで、一人よがりです。

    >文のつくり、流れにおかしい部分はないか。
    >他、気付いたところあればお願いします。

    きついことを言いますが、タイトルの通りです。
    学びという、学生生徒側を主体とする言葉と、教育という教え育てる側の言葉を、同列に扱うなど、言葉の扱いがぞんざいであることも、論旨を取りにくくさせている一因ですが、そういうことより、まず理屈が無茶苦茶なのです。
    大要、言いたいことは想像できますが、文章として読んでいくと、論旨展開が独善的です。

    たとえば冒頭ですが、いきなり「私の答えはgrowである。 」という結論を出してしまっては、読むものは、いったいこの英語の書き出しは何なのかと、戸惑うばかりです。
    「春休みに行ったカナダの大学での講義で、」という部分も、「行った」とは何なのか、おそらく短期留学か何かだろうと想像することはできますが、あまりに文章として説明不足です。

    あるいは、
    「さて、冒頭でも述べたように「教育」とは、人として成長すること、すなわち人格の形成を目的としている。」
    と、まるで、それが多くの人の合意事項であるかのような書き方をしていますが、冒頭で述べているのは、あなたがそう考えたということだけです。それを、いつの間にか、万人の合意事項のように、言葉は悪いですが、すり替えてしまっています。もちろん、教育は人を育てることだという話が間違っていると言うのではありません。
    自分の意見として置いた(提示した)ことを、勝手に社会的合意があるように書くことが、論旨展開として変だと言うことです。

    そのほかにも、たとえば、
    「豊かな心を育むものとして効果的なものはまず音楽があげられる。」
    など、勝手な理屈が多く、素直に文章を読み進めにくいのです。音楽が情操教育に役立つことはその通りでしょうが、なぜ「まず」なのか。あなたにそうであっても、万人がそうとは考えないでしょう。それを、「まず」と音楽が一番先にあげられると決め付けているのです。

    さらにひどいのは、音楽は言葉の違いを超えて理解しあえるものだという話から、あたかもそれで、「他国を理解」したり、「自国の気づき」をしたり、「それはコミュニケーションスキルの向上や自己を知ることへとつながっていく」などと、相当無理のある理屈を、当然のごとく語っている部分です。まるで音楽が万能であるかのような論旨です。

    それらに続く次の部分は、何が言いたいのか、さっぱり理解できません。
    「国際社会に寄与する開かれた心」や「豊かな情操と道徳心」が重要視されることになるから、どうだと言いたいのですか?

    「今後さらにグローバル化が進み、多文化共生が求められることを考えると、「開」国際社会に寄与する開かれた心、「徳」豊かな情操と道徳心はより重要視されることになるだろう。 」

    「徳」豊かな情操と道徳心
    「開」国際社会に寄与する開かれた心
    などの表現も、それが横浜市教育委員会の文書で多用されている、スローガンのようなものならともかく、そうでないなら、作文常識を無視した勝手な表現と言わざるを得ません。

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