◎質問者(文章執筆者)の性別/女
◎質問者(文章執筆者)の年齢・学年/高3
◎文章の用途(「入試用の志望動機」など)/慶応義塾大学法学部2011の論文テスト
◎文章の提出先(受験する大学、会社など)/提出はしません
◎チェックしてほしい文章/法学部2011
抵抗権
法治国家における国民が、国家の正当性を守るために反対する権利である抵抗権には、合法的なものと超実定的なものがある。前者は、法律に定められたやり方で法律に反対するため、罪は問われない合法的抵抗権として存在する。一見矛盾しているが、憲法によって保障された実定的なものである。後者は、保障された抵抗権の行使を超えた段階で反対する場合の抵抗権であり、法治国家において認められることはない。これらの抵抗権について、筆者は、抵抗権の実定化によって国の安定性と秩序が保障され、民主制が確立された点で合法的抵抗権を評価し、行使の結果として不当を暴き世間に訴えかけられる点で超実定的抵抗権を評価している。
私は、民主主義国家の秩序を最も重視するため、合法的抵抗権を最大活用することが望ましいと考える。第二次世界大戦前のドイツを例に挙げれば、法で守られるべき秩序の重要性は明らかだ。当時ドイツは法治国家であり、国民は憲法の下で民主政治に参加していた。しかし、不安定な政情の中で台頭したヒトラーは、その政体を逆手に取り、全権委任法によって憲法を無力化し、実質上の独裁体制を確立した。法律がある限り揺らぐことのなかった民主制は自壊し、権力者となったヒトラーの意思に基づく法に対しては抵抗権の保障の可能性が絶対的では無くなった。国民は法の下で保障されていた自由さえも失った。しかしこれは、皮肉なことに国民が自ら選択した結果である。この民主制の事実上の崩壊により、法で守られていた秩序は乱れていく。無論、筆者の示すように、法治国家である以上は、超実定的抵抗権の可能性と意義も消えることはない。ただ、その行使には悪法や不正があることが前提である。だとすれば、それらは国民の選択によって事前に防ぐことができるのではないか。民主制が整っている法治国家である以上、政治に意見することやリーダーを選ぶこと、憲法に関すること全てに及んで国民に主権がある。国民の意思で憲法を守ることができるのだ。つまり、悪法の案についても、かつてのドイツのように、国民が選ばない限り、法律になることはないため、超実定的抵抗権を行使する必要性は極めて低い。従って、国民は、法の下に保障される平等や自由を侵す事態に至らないように、法の問題に関しては、吟味して選択し、反対する際には合法的抵抗権を活用していくべきだと私は考える。
◎チェックしてほしい事柄・ほしいアドバイス/筆者の主張を整理して、超実定的抵抗権について、具体例をあげながら述べなさい。という問題でした。唯一思いついた具体例としてドイツの例をあげましたが、方向性がずれてはいないか、他にもっと良い具体例はないか、教えていただきたいです。構造や文の不自然さなども詳しくご教示いただけるとありがたいです。宜しくお願い致します。
◎質問したい事柄/『?と私は考えている』以外の言い回し方はありますか?