大学入試出願書類の自己PR・自己推薦、場合によっては志望理由・志望動機の文章で、再三問題になるのが、アドミッションポリシーへの対応です。単に自己PR・自己推薦や志望理由・志望動機を書くように求められているだけにも関わらず、その大学のアドミッションポリシーに対応する内容を無理に盛り込もうとする人が多いのです。もちろん、自分(志願者・出願者)がアドミッションポリシーに書かれている「求める人材」に該当する志願者・出願者だということをアピールしたい、それが自己PR・自己推薦の本質なら、それで問題ありません。
ところが、自分がアピールしたい事柄は、アドミッションポリシーの内容とも、またそこに書かれている「求める人材」ともあまり関係していないのに、無理にアドミッションポリシーに関連付けようとするわけです。さらに言えば、大学側から書くべき内容が具体的に指定されていて、それがアドミッションポリシーの内容とも、またそこに書かれている「求める人材」ともあまり関係していないという場合さえあります。
それにも関わらず、無理にアドミッションポリシーに関連付けようとした結果、本来、自分がアピールしたいことがピンボケになったり、大学側の要求からズレた文章になったり、全体の論旨がチグハグになったりしてしまうのです。たとえば大学側から、高校時代の課外活動の成果を書けという指示があるなら、それを素直に書けば良いのであって、無理にアドミッションポリシーに関連付ける必要などありません。そんなことをすれば、出題文をきちんと読みこなす能力のない志願者・出願者だと解釈されてしまいます。
そもそも大学のアドミッションポリシーというのは、基本的にすべて当たり前のことばかりです。求める人材は、一定の学力を有する者であることとか、その分野(学部など)を学ぶ意欲がある者であることとか、OA入試なら、その条件に該当する人物であることとか、どれも当然のことです。そして、それがないとか該当しないとか、自ら告白する志願者・出願者などいるはずがありません。アドミッションポリシーの一部を取り出して、単に、自分はそれに該当すると述べたところで、何の意味もないのです。
問題は、出願者・志願者が、アドミッションポリシーの求める人材像などに、どのように該当するのか、その具体的説明、あるいは根拠を書くことです。そして、執筆者がもともとアピールしたいと考えていることは、おおむねそれに相当するものですし、大学側からの指示内容というのもやはりその具体的な内容を指示しているのです。そこでまた、アドミッションポリシーの原文(記載内容)に戻ってアレコレ考えるから話がまとまらなくなるのです。
大学側からとくにアドミッションポリシーに関連付けて書けという指示がない限り、アドミッションポリシーのことなど考える必要はありません。「アドミッションポリシーを踏まえて」という指示があったとしても、それを頭の片隅に置いて考えればよいだけです。